ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

パデレフスキ ノクターン 

 

ピアノサークルの練習会、あるいはピアノ仲間との弾き合い会のようなもの、そのような機会がある人は多いと思う。そのような時、必ず登場する作曲家って誰だろう?それはショパン・・・だと思う。サークルの練習会は、ショパン人気が相当なものだと実感する機会でもある。教室の発表会でも同じなのでは?「あら、今年はショパンを弾く人が誰もいないのね」なんてことはあるのだろうか?

僕自身はショパンっていいな・・・と素直に思う方だ。でも選曲の幅というのかな、より多くの曲を知っていると選択の幅が広がって楽しくなると僕は思う。「次の練習会、ショパンのワルツにしようかな?」それもいい。凄くいい。でも誰かが弾くかもね?それもいい。でも・・・

往年の巨匠ピアニストを好んで聴いていると、今ではあまり演奏されなくなってしまった、ちょっとした気の利いた曲というのかな、珍曲とまではいかなくても、「あら、素敵な曲ね。何ていう曲なんだろう?」的な曲を知ることができる。巨匠の演奏を聴くことの副産物とでも言うのだろうか・・・

「どうやって曲を知るの?」とはよく訊かれる。どこから引っ張り出してきたんですか・・・的な曲を弾くとも言われる。自分自身はそうでもないと思うのだが・・・

そのような曲、人によっては「どこから引っ張り出してきたんですか?」のような曲を紹介していけたら楽しいのではないかと思った。選曲の基準は、それほど超絶系の曲ではないということ。むろん、往年の巨匠が好んだわけだから、ある種の難しさや、効果は含んでいるだろうが、いわゆる「真っ黒系の楽譜」ではない曲を選んでいこうと思う。また、楽譜の入手がそれほど困難ではない曲。全音ピアノピースに含まれているとか、パソコン音痴の僕でも入手できた・・・とか。

曲としては誰でも一度は聴いたことのある曲、でもあまり練習会、ピアノ弾き合い会、発表会では登場しない曲も含んでいきたいと思う。

ずっとパデレフスキのことを綴ってきたので、まずはパデレフスキの作品を紹介したい。最も有名な「メヌエット」もサークルでは聴いたことがない。有名だが演奏されない曲の一つなのではないだろうか?でも「メヌエット」は意外と難しいような気もする。「メヌエット」以外のパデレフスキ作品もとても素敵だ。

ノクターン Op.16-4

「メヌエット」と比較すれば、さらに演奏されることは少ないと思うが、いい曲だ。

スティーヴン・ハフの演奏が素敵だと思う。

ハフ・・・若い!

kaz




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イグナツィの瞳 

 

パデレフスキ、パリ征服(?)後、アメリカに演奏旅行へ出ている。レパートリーが少なかったという一例が、この演奏旅行で分かる。「こんな曲・・・弾いたことない」ということがあっても、契約なので演奏しなければならない。スケジュールも相当厳しいものであったようだ。パデレフスキ自ら語っているが、この時期は一日に17時間の練習(譜読み?)をこなしていたようだ。

成功してからのパデレフスキの人気は相当なものであったらしい。専用の列車に専属の調律師、執事、コックなどが乗り込み、列車には練習用のピアノが二台も積まれた。王侯貴族の移動・・・のようであったのではないか?その様子を見物する人たちの群れ。

演奏会場でも女性の黄色い声が飛び交う。サインを求めてパデレフスキを追いかける女性たち。滞在先にも忍び込む女性がいたらしい。ある時などは「あなたの髪を下さい」とハサミを持った女性が・・・

現在の某スケート選手にみられる以上の「追っかけ」ファンの存在。クラシックのピアニストとは思えないような熱狂ぶりだ。若い頃のパデレフスキ、なんとなく今でいうところの「イケメン」であったのではないだろうか?豊かな金髪(彼の髪は有名だったようだ)、どこか影のある風貌。そのようなイケメン男性がショパンを切々と奏でる、ファンも多かったのではないかと想像する。

ヨーロッパ、特に小国を旅すると、その旅が完全に観光であっても、なんとなく感じる感覚というものはある。最初は有名な風景に「あっ写真と同じ」とか「キャッ、これ美味しい」などという反応でも、次第に「あの山のむこうには異なる文化がある、異なる言語を話す人がいるのだ」という、ある種の緊張感みたいなものを感じるようになってくる。国境というものを直に感じる瞬間とでもいうのだろうか?この感覚は日本でも北米でも感じることのできない特殊な感覚。地続きということの緊張感・・・

これは侵略、支配・・・などということの歴史を感じてしまうことなのかもしれない。ポーランドという国は大国に翻弄され続けてきた国。時には消滅さえした国。そのような憂いの国から、憂いを感じさせるポーランドのイケメンがショパンを奏でる・・・

ここにピアニスト・・・というだけではない魅力のようなものが加わったのかもしれない。

自分の国を捨ててきた人たち、捨てなければならなかった人たちに共通しているものがあるように思う。それは瞳。ある瞬間、その瞳に異様なまでの光が宿るのだ。会話をしている時、何かを考えている時、何かを見つめている時、とても強い光を感じる時がある。それは「誇り」であるように僕は思う。

パデレフスキの異様なまでの人気ぶりは、この瞳の光にあったのではないかとも感じる。

kaz




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イグナツィの冒険 

 

パデレフスキはワルシャワ音楽院を退学になっている。これには驚いた。むろん、後に復学しているが、血気盛んな青年ではあったようだ。練習室にこもり、ひたすら練習していた・・・というよりは、世の中の動向を気にし、ポーランド人としての血が騒いでいたような青年ではあった。首相になる素質(?)は若い頃よりあったのだろう。

学生時代、友人たちとロシアに演奏旅行に出ている。むろん、有力なマネージャーなど存在せず、自分たちだけで切り開いていくような冒険旅行だったようだ。友人たちが次々と脱落していく中、パデレフスキは演奏旅行を続ける。そこで無一文になり、極寒ロシアで死ぬ一歩手前まで経験したりする。

パデレフスキ、もちろん幼い頃からピアノを弾いている。ただし、その他の大ピアニストとは異なり、幼い頃から偉大な教師に導かれ、正しい教育法で神童として順調に育っていった・・・というのとは異なるようだ。彼の育った環境は極貧というわけではなかったようだが、片田舎で、周囲にはそれなりの教師しか存在しなかった・・・という背景がある。本格的なピアノ道というのは成人してレシェティツキに師事してからということになる。このあたりが普通ではないところだろう。即興名人ではあったようだ。鑑賞者としての耳がパデレフスキのピアノを育んでいったというか?優秀なピアノ少年というよりは、壮大な音楽少年だったのだ。

自然と、「ひたすら訓練してきましたっ!」というピアニスト・・・というよりは、作曲家として認められるようになっていく。若かったパデレフスキの才能を認めた人たち、アントン・ルビンシュタインやブラームスなどもピアニストとしてよりも、作曲家、音楽家として、まず認めていたようなところがある。モシュコフスキーもパデレフスキの作品を出版する際、ヘルプしたりしているようだ。レシェティツキ夫人は高名なピアニストでもあったから、パデレフスキの「メヌエット」などを盛んに人前で演奏し、彼の名前は、まず作曲家として知られていったようだ。

レシェティツキ、パデレフスキによれば、まず彼のペダリングに驚嘆している。また指のコントロールによる、百万色の音の世界への評価。でもこうも評価する。「しかし、訓練されていない・・・」と。24歳から訓練を始めるのか?蓄積は?レパートリーは?職業ピアニストは無理だろう、教える・・・それは可能だろう。師匠はパデレフスキにストラスブールの音楽院の教授職を推薦するのだ。「それが君の道だね」「遅すぎたね」と。

パデレフスキのことだから、「ああ、そうなのね」とはならなかったのだろう。当時のパデレフスキは極貧状態だったから、生活のために師匠の進路指導(?)に従うが、「俺はピアニストになる」という夢は捨てることはできなかったのだと思う。

パフォーマーとしての魅力は絶大なものだった・・・僕はそう感じる。数少ないながら残されているパデレフスキの音源を聴いてそう思う。

奇跡的なデビュー後、彼は苦しむ。「弾ける曲がもうない・・・」一晩のリサイタル分しかレパートリーを持っていなかったのだから。そこでパデレフスキは血の滲むような練習を開始することになる。譜読み地獄というか?

ブランク・・・ということを考える。または、「ピアノは子どもの頃より訓練していないと上手にはならない」とか「指は大人から始めても絶対に動くようにはならない」とか、そのような迷信を考える。むろん、パデレフスキと自分を同じように考えるわけでは、むろんないが、彼の演奏を聴いていると、そのような固い迷信が徐々に柔らかく溶けていくような気はしてくる。

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イグナツィを読む 

 

パデレフスキの自伝を読んでいる。ナイトキャップとして読んでいるので、なかなか進まない。楽譜の校訂ということで有名なピアニストで、ピアノ小品「メヌエット」の作曲者であることでも有名。「ああ、あの曲の・・・」

でもピアニストとしては、やや過小評価されているような?古い年代(?)の人なので、それだけでも「あまり聴かれない」という理由にはなるのかもしれないが、他の往年の巨匠たちと比較しても、なんだかあまり聴かれないような?

中村紘子著の「ピアニストという蛮族がいる」という本の中でも、パデレフスキは1章を割かれているが、どうも、その他登場するピアニストたちと比較すると、パデレフスキというピアニストに対しての著者の評価が、やや低めのような気もする。ホロヴィッツやラフマニノフに対しての愛情がパデレフスキには感じられないというか。

現在、一国の首相が元ピアニストだったということなんてあるだろうか?ピアノの上手な政治家はいるだろうが、ピアニストから政治家、それも首相、兼外務大臣を務めるなんていうことはあるだろうか?

また、一晩のリサイタルが大評判になり、「神が舞い降りた」などと騒がれた新人ピアニストが、実は24歳になって本格的にピアノの修行をし、レパートリーとしては、その時に弾いたプログラムしか持っていなかったなんていうことがあるだろうか?次々と舞い込むオファーに対して「どうしよう?弾ける曲なんてない」などということ、あるだろうか?ピアニストになるには、幼少の頃から厳しい訓練を受け、それなりの蓄積があるのが普通なのでは?蓄積、才能があっても光など当たらないのが普通なのに、後光差し込むほどの成功を収めた人が、実は一晩分のリサイタルのレパートリーしか持っていなかったなんて・・・

このあたりに、ピアニスト、パデレフスキ評価の要因が隠されているのでは?

実際に聴いてみるといいのだ。

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大ピアニストからの贈り物 

 

最近ボルトキエヴィチのピアノ曲は注目されているのではないだろうか?彼のピアノ曲が注目されるということは、ロマンティックなものが必要とされ、人々が求めはじめているということであるのかもしれない。

ボルトキエヴィチは時代の寵児という作曲家ではなかったような気がする。彼が生きたのは時代を先取りするような、前衛的な、実験的な作品が目立っていた時代だったのでは?そのような時代において、彼の作品は「時代遅れ」のような扱いさえされてしまったこともあったのでは?

ラフマニノフの作品も、かつてはそのような扱いだったのかもしれない。でも時の洗礼を生き残ったのは、前衛的な作品ではなく、ラフマニノフの作品だった。ボルトキエヴィチの作品は、どこかラフマニノフを彷彿とさせるような?事実、ラフマニノフの二番煎じなどと言われていたこともあるようだ。

世間の流行、動向に合わせ、自分を変えることをしなかった。そして時代から取り残されるというか、どこか忘れ去られた存在にさえなっていった。

そのような時代、あえてボルトキエヴィチの作品、録音までしたピアニストがいる。モリッツ・ローゼンタール。ミクリとリストの弟子だったピアニストだ。ただ一人のショパン、リスト直系のピアニストということになる。そのピアニストが自分の作品を録音してくれたのだ。ボルトキエヴィチは嬉しかったのではないかな?なんとなくそう感じる。

ボルトキエヴィチは自分の作品をローゼンタールに献呈したりしている。おそらく、二人の間には共通した何かがあったのかもしれない。

当時の偉大な大ピアニストが、リストやショパンの作品と共に、同じような扱いで自分の曲を演奏している・・・

今から50年後、巷のピアノサークルではショパンの作品と同じようにボルトキエヴィチの作品が演奏される時代になっているのではないか、そのような想像をしたりする。カプースチンの作品が今よりも演奏されなくなったとしても、ボルトキエヴィチの作品は「定番」にさえなっているかもしれない。

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