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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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好きなピアニスト サンドロ・ルッソ 2 

 

サンドロ・ルッソの演奏はユーチューブで沢山聴くことができる。割と超絶技巧系の曲もアップされているので、その方面(どの方面?)が好きな人には結構知られているピアニストなのかもしれない。

個人的には、そのようなバリバリ系の曲よりも、このような歌謡系の曲で、この人は本領を発揮しているような気がする。

kaz




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好きなピアニスト サンドロ・ルッソ 

 

現役のピアニストで好きな人、そう質問されたら誰と答えるだろう?おそらくスティーヴン・ハフと答えるだろうか?でも彼はメジャーな存在なので知っている人も多いだろう。ハフは数年前からジュリアード音楽院で教えているのだそうだ。アメリカでは非常に売れているピアニストだと思う。日本でも演奏してくれるが、頻繁とは言えない。昨年は日本でも演奏してくれたけれど・・・

そのスティーヴン・ハフをとても尊敬しているというピアニスト、サンドロ・ルッソ。この人は日本ではそうメジャーな存在ではないだろう。サンドロ・ルッソはハフの他にはイグナツ・フリードマンなども尊敬しているそうで、このあたりは僕の好みと一致している。あとは、ディ・ステファーノやコレッリなども好きなのだそうで、このあたりも僕と一致している。オペラ歌手を好きなピアニストというだけで聴いてみたくなる。

唐突だが、自分の好きな現役ピアニストを紹介していきたいと思った。それも、日本ではそれほどメジャーではなく、頻繁に来日してくれない人や、まだ一度も日本で演奏していないような人。

世界は広い。日本で有名なピアニストだけがピアニストではない。

kaz




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知られざるピアニスト? 

 

フルタイムで仕事をしながらのピアノ道なので、そう人と違うことをしているわけではない。練習をしない(できない)日もあるし、というか、できない日の方が圧倒的に多いし、練習する日だって、何時間も練習できるわけではない。隙間時間や、出勤前の短い時間を確保するため、早起きしたりして弾いているのだ。多くの人はそうだろうと思う。オフの日は、これまた多くの人がそうであろうが「こんなに自分は疲れていたのか?」ということを自覚する日でもあるので、やはり練習はできなかったりする。「それがいけないんです!」と言われそうだが、ピアノは精神修行でもないと思っているので、いいのではないかと思う。

そんな普通の(?)僕でも、人からは譜読みが早い、曲を仕上げるのが早いなどと言われたりする。譜読みに関しては、視覚的に音符を判読して鍵盤に移すという感覚と、耳コピのような、頭の中で鳴っている音を確認するという感覚とのミックスであるということが譜読みが早い理由なのだと(強いて言えば)思う。曲を仕上げる・・・正直、仕上げるって何?というか、仕上げるという感覚すらないのだが、練習方法において、おそらく人と異なることをしているとすれば、主にパッセージの練習においてだが、「ゆっくり弾く練習はしない」ということだろうか?ゆっくり弾くというのは、練習方法の王道のようだが、一日に8時間も弾ける自由時間があれば、それでもいいが、効率性を重視しなければならない身なので、それはしていない。いきなり通常のテンポで練習すると、雑な仕上がりになると思われているが、ちょっとした工夫をすればいいのだと思う。単位を少なくするのだ。

この方法は、偶然なのだが、エドゥアルト・シュトイアマンが提唱する練習方法でもある。単位を少なくするが、テンポは遅くしない。この方法についてはシュトイアマンの弟子の中では最も知名度の高いアルフレッド・ブレンデルが、ある本の中で説明しているので引用してみる。

「シュトイアマンの教授法で私が高く評価している点の一つなのですが、シュトイアマンは生徒にパッセージを速いテンポで練習させます。でも、そのパッセージを小さな部分に分割させるのです。彼は生徒に、ある箇所を、ある弾き方で弾くように指示します。次に二番目の部分を弾いて、最初の部分につなげるよう命じます。ただし絶対にテンポは緩めないで。生徒がそのパッセージを弾き終えるまで、このやり方が続きます。この方法は曲全体を暗譜するのにも役立つかもしれません」

ピアニストの多くは一人の人にずっと師事しているわけではないので、一概に誰々の弟子だから・・・と安易に考えてはいけないとも思うが、シュトイアマン門下のピアニストには興味深いピアニストが多いように思う。個人的には、シュトイアマン門下で最も有名なブレンデルが最も凡庸・・・という気もするが、ブレンデル以外は、これまた日本では有名ではない人が多い。シュトイアマンの孫弟子・・・と広げてみると、アムランなども引っかかってくる。アムランもまた有名だが、彼も個人的にはどこか凡庸に思える。

個人的には、ラッセル・シャーマンとか、ヤコブ・ギンぺルといったピアニストがシュトイアマンの流れを汲むピアニストの中では興味がある。知ってます?知られていないんですよねぇ・・・日本ではあまり・・・

ヤコブ・ギンぺルの演奏。このメンデルスゾーン、好きだなぁ・・・

無名=凡庸ではないということは確信できる。ギンぺルとかシャーマン、もっと有名になって欲しい気もするが、自分だけの宝物にしておきたい気もする。

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呪縛から解かれたバッハ 

 

自分は完全に少数派なのだろうと思うことがある。例えば・・・

脳科学者(?)がピアノを習うことは脳にいいことだと、そして習い事はピアノだけをやれば、学校での「お勉強」にもいい影響を与えるだろうと主張。むろん、ピアノを習うと成績が下がる・・・と言われるよりは、いいことだと僕でも思うけれど、でも、ピアノを習いたいという子どもの保護者がそのような目的(脳の活性化?)でピアノを習わせたいと言った時に、「ちょっとそれは違うのではないかと思います」と返すのがピアノ教師なのだと思っていた。でも僕の考えは完全に少数派らしい。多くのピアノ教師が「脳科学者もこう言っています。だからピアノを習うことをお勧めします」みたいなことを書いたりしているから。喜々として・・・

僕は完全に少数派なのだろうと、このような時に感じる。「プロになるわけでもないんです。音大に進むわけでもないんです。だから楽しく・・・」このような考えも僕はあまり好きではない。反対ではないのか・・・とさえ思う。趣味、アマチュアだからこそ、自分の欲求に忠実になれるプレジャーがあるのかと思う。偉大な演奏を聴いて、「ああ・・・いつか自分も!」とか「自分もあの世界に触れたい!」と驀進できる贅沢さはアマチュアだからこそなのではないかと。堂々と偉大な演奏家に憧れることができる喜び、浸ることのできる快楽・・・

自分の楽しみのために、プレジャーのために弾くという快楽というのだろうか?聴き手の反応などというものを無視できる気楽さはアマチュア、趣味ならではなのでは?だからこそ熱く表現したいのに・・・

プロじゃないんだから、まあ、そこそこに・・・反対じゃないかなぁ???でもこの僕の考えは少数派なのだろう。ある意味、特殊(?)な世界に酔うことができる。自分に正直に・・・これが趣味の醍醐味だと思うんだが・・・

アンドレイ・ガヴリーロフがチャイコフスキーコンクールの覇者になったのは、日本流に言えば高校生の時。当然騒がれたし、彼はスターになった。どんどん新譜が発売され、若き世代のホープとして期待されるようになった。そして彼は期待以上の活躍をした。

人々や音楽界が求める「いいピアニスト像」というものに忠実だったのかもしれない。いいピアニストという枠のようなものを彼はふるい落としかったのかもしれない。なんだか重いんだよ・・・と。

「今日は弾かない。弾きたくないんだ・・・」ガヴリーロフは突然キャンセル魔となった。重要な演奏会で突然のキャンセルを重ねることにより、彼はピアノ界から干されてしまった。

「弾きたくない・・・」

彼は自分の欲求を通すことで、すべてを失った。ピアニストとしての地位も、家も家族も・・・

結構長い間、アンドレイ・ガヴリーロフというピアニストの名前は消えていたのではなかったか?

何かをふるい落としたガヴリーロフは再び人々の前に姿を現した。以前とは全く違うピアニストとして。容姿、というか服装というか、髪型というか、外観が変わった。「これが僕だから・・・」

演奏も変わった。個性的と言われる演奏なのだろうと思う。かつての危ういまでの爆演はそこにはない。「これが本当の僕だから・・・」

世間一般での「こうあるべき」というものの呪縛から解かれると、気持ちいいこともある。でも若干の勇気も必要だ。

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スケール美 

 

ベートーヴェンからリストへの狭間の時代、まさにこの時代にカール・チェルニーが活躍した。この時代はスケール美の時代だったのではないかと僕は想像する。楽器の発達、改良ということもあっただろうが、いわゆるピアノ技法の基礎的なものの美というものが認識され始めた時代だったのでは?スケール、アルペジオ、ターン、オクターヴ連続、ダブル和音の連続・・・このようなピアノ技術そのものの美を追い求めた時代。ウェーバーとかフンメルとか、まさにスケール美の世界だ。カルクブレンナーなどもそうだと思うが、現在ではスケール美の作品はどこか廃れてしまっているような印象がある。演奏会の形態そのものが変わってしまったのも理由の一つだろう。サロン的な演奏会から大ホールでの演奏会へ。ウェーバーやフンメルなどの珠玉の作品群は、まさにサロン的な場に相応しい。メンデルスゾーンなんかもそうかな?あまり今は大ホールで演奏されないよね?

スケール美作品を演奏するには、現代の多くのピアニストの音は立派すぎるというか、重すぎるような気がする。真珠のような・・・という美意識よりは、どこか鋼鉄のようなものを感じる。廃れてしまった作品群を魅惑的に演奏できる人が少なくなってしまったのかもしれない。逆か?魅惑的に演奏できる人が少なくなってしまったから廃れてしまった?

チェルニーも協奏曲のような本格的作品を残している。聴いてみたけれど、う~ん、微妙な感じだ。溢れ出るようなメロディーの才に欠けていたのだろうか?なので自分の得意分野というものを意識し、教育、そして練習曲という世界に入っていったのだろうか?チェルニーの練習曲は、スケール美の作品群を演奏するには最適の練習と思える。

チェルニーの練習曲を、鋼鉄のようなタッチではなく、真珠の連なりのような、ポイントを狙った最小限負担のタッチで演奏してみると、あら不思議、フンメルのような魅惑的スケール美の作品につながっていく気もする。

フンメルの作品は子どものコンクールの課題曲になっていたりするので、結構達者な子どもが演奏したりしている。でも無理して鋼鉄のように弾くので、真珠の連なり、狙ったタッチでの微妙で軽妙な洒落っ気には遠い演奏ばかりだ。これはフンメルではない・・・みたいな?

フンメルの魅惑的な演奏、個人的にはディノ・チアーニの演奏が素晴らしいと思う。彼は滅多に他の人の演奏しない(できない?)フンメルのソナタとか、ウェーバーのソナタなどで本領発揮している気がする。ベートーヴェンのソナタも、よくある「ドイツ的厳格さ」とか「深淵な精神性」という胃が重たくなるような演奏ではなく、イタリアの青い空のような突き抜けた爽やかさがある。

ディノ・チアーニは日本では、あまり有名ではないのが非常に残念だ。彼は自動車事故で若くして亡くなってしまったから、ピアニストとしての活動期間が極めて短い。それもあると思う。33歳・・・だったかな?

このディノ・チアーニのフンメルの「ロンド」は、まさにスケール美の世界だ。今ではどこか廃れてしまった、忘れられてしまった軽妙さの魅力。チェルニーを鋼鉄タッチで弾いたら苦しい。手も痛くなるだろう。でも、このチアーニのようなタッチだったら?

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