ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

Love trumps hate 

 

「あのポーランド人女性の具合はどうです?」「そうだな、身体は回復しているが、心は依然閉ざしたままだ」「先生、やはりご家族のことは黙っていた方がよかったのでは?事実を知らせるのは酷だったのかも・・・」「そうかもしれんが、我々が黙っていても、彼女はやがて事実を知っただろう。家族が全員殺されたのだ。心を閉ざしていても仕方なかろう」「そうですね。彼女に生きる希望が見つかるといいのですが・・・」

療養所の壁だけを見つめる毎日、どうして自分だけが生きているのだろう?ユダヤの呪われた血なのだろうか?どうしてこんなことに・・・

「彼女は自分だけが生き延びたことで自分を責めているようだ。今はそっとしておこう。時間が必要だ」「そうですね」

そんな彼女のもとに、一人の男性が訪ねてきた。「マリラ・ジョナスさんですね?」

マリラは紹介されるまでもなく、その男性のことは知っていた。アルトゥール・ルビンシュタインだった。

「どうしてあなたがこんなところに?」「あなたのことはトゥルチンスキ教授から聞いています。大変でしたね。でもあなただけでも生き延びてよかった」「わたしなんか・・・」「どうしてそんなことを言うのです?ピアノは弾かないのですか?」「えっ?ピアノ?」「そうです。あなたはピアニストでしょ?」「ピアニスト?」「そうです。我々ポーランド人の誇りを一緒に表現するべきです。あなたはピアニストなのだから」「そんな・・・ピアノなんて・・・」

「ドイツ人、ナチスが憎いのでしょう?」「ええ、憎い。家族を殺したドイツ人が憎い」

「気持ちは分かります。痛いほど分かります。でも愛は憎悪に勝つのでは?それは我々ポーランド人、ユダヤ人の誇りでもあるのでは?」「愛は憎悪に勝つ?」「そうです。愛は負けないのです。それをピアノで表現するのです・・・」

「ピアノを弾く気持ちになったら、そうしたら私のところへ訪ねてきなさい。私はいつまでも待っていますよ。ポーランド人ですから・・・」

ルビンシュタインから演奏会に誘われた。でも正直気乗りはしなかった。ピアノなんて過去のものだ。再び弾こうなんて気持ちにはならない。

演奏会のリハーサル、彼女は同行した。その時ルビンシュタインは唐突に彼女に言ったのだ。「客席でどのような音で聴こえるのか確認したい。ジョナスさん、何でもいいので舞台でちょっと弾いて頂けませんか?」「えっ・・・」「私は客席で音を確認しますから。お願いします」

彼女はピアノの前に座っていた。時間が永遠のように感じられた。「ピアノ・・・」

そして弾き始めた。何時間も弾き続けた。

客席でルビンシュタインは同胞のピアニストの誇りを静かに聴いていた・・・

つづく




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逃避行 

 

「さあ、今のうちに・・・早く・・・」「どうして私を助けてくれるのですか?あなたはドイツ人なのに」「マリラ・ジョナスさんですね?かつてワルシャワで、あなたの演奏を聴きました。あなたのような方が強制収容所にいるなんて。世の中狂っている。私にできることは、あなたを逃がすことだけです」「逃げられるのは私だけなのですか?家族はどうなるのです?」「ご家族のことはどうしようもありません。どうか私のことは内密に願います。さあ、夜の闇に紛れて逃げるのです・・・」

彼はナチスドイツの高官だった。ナチスにも人間はいたのだ。

「マリラさん・・・どうか、どうか、あなた一人でも生き延びて下さい。ご無事で・・・」

彼はベルリンのブラジル大使館を頼るように言っていた。でも辿り着くだろうか?ここクラクフからドイツのベルリンまで600キロはあるのだ。食べる物はどうしたらいいのだろう?

寒さと餓えに耐えながら、彼女はベルリンまで歩いた。

「おい、人が倒れている。生き倒れになっている」ブラジル大使館の職員がボロボロになった女性らしき人間を保護した。

「あなたは誰なのです?どうしてここにいるのです?話せますか?話をすることができますか?」

彼女は、これまでの経緯をなんとか話した。「よくもここまで無事で。奇跡ですよ、生きているなんて・・・」

大使館側は彼女のことをこう記録した。

「マリラ・ジョナス、女性、国籍ポーランド、人種ユダヤ人、ピアニスト。トゥルチンスキ教授にピアノを師事。ナチスドイツに対して演奏による協力を拒否し、クラクフの強制収容所に収容される。家族については安否不明」

難民としてブラジルに避難させよう、このままベルリンに滞在していては彼女の命は保証できない・・・

新天地、ブラジル、そこではユダヤ人迫害はないのだろうか?両親、兄弟、親戚はどうなったのだろう?

生きているだけでやっとだった。彼女は船でブラジルに渡った・・・

つづく




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愛のワルツ 

 

子どもの数が減っている。昭和時代ならまだしも、今はピアノ教室は生徒獲得(?)というのも切実な問題なのかもしれない。だからこそ、教材研究とか興味を持たせるレッスンとか、さらには生徒募集に直結した「ブログの書き方セミナー」などというものも存在するのだろう。このようなノウハウのようなものも必要なのだろうが、このような時代だからこそ、もうちょっと根源というか、「なぜピアノを習うのだろう?」みたいなことを掘り下げていってもいいのかもしれない。

ピアノを習う理由、それは「ピアノが上手くなりたい」からだろうか?そうだろうか?ピアノが他の多くの習い事と異なることは、「その時間に頑張る」という習い事ではないことだ。スイミングクラブとか、自宅練習ってあまりしないのでは?ピアノは自宅練習なしには考えられない習い事だ。でも、そんなことは親だって子どもだって知っているのでは?だからこそ「なんのために習うのだろう?」ということは押さえていた方がいいような気がする。練習そのものが快楽・・・という人はあまりいないと思うし。

街のピアノ発表会を聴きに行ったと仮定する。3分の曲を10分かかって、つっかえながら演奏している、ほぼそのような生徒ばかり、これでは「ここで習おうかしら?」とは思わないのではないだろうか?反対に鼻息荒くというか、「コンクールに入賞させるのですっ!」のような発表会も、あまり魅力的でもないのでは?その中間・・・みたいなところがいいのでは?でも中間ってどんな?そこが難しいところだ。

表現・・・なんとなく、弾けてから、上手になってから伴ってくるもの・・・みたいに思っている人も多そうだ。上手になったら表現できるみたいな?そうだろうか?

上手になってから表現・・・ではなく、表現したいからピアノを弾くのではないだろうか?そもそもの根本の部分、表現したい・・・上級者になってからとか、上達してから・・・ではなく、表現したいから習う。

これからの時代、この部分が大事になってくるような気がする。ノウハウというよりも根っこ部分。

お父さんは娘の結婚式でギターを弾いた。「愛のワルツ」という曲だ。結婚式にしては哀しい曲のようにも感じる。でもお父さんは表現したかったのではないだろうか?娘への気持ち、育ててきた、共に生きてきた歴史・・・

娘も、お父さんの演奏を聴いて切なかったかもしれない。いや、お父さんの愛情を感じたのかもしれない。言葉にはできない。だからこそお父さんは音楽で表現したのではないだろうか?

上手になりたいから習っているのだろうか?練習しているのだろうか?



kaz




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慈しみ表現 

 

ピアノでメル・トーメのような柔らかさ、包み込むような表現、可能だろうか?

マインダースの、この演奏のような?

kaz




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包み込み表現 

 

その曲を選んだ理由とも言うべき箇所、「ここ、ここ、そう、ここなのよ」という箇所がある。そこを盛大に盛り上げないで、慈しむ、包み込むのようなイメージだろうか?

フェイントというものにも近いのだろうが、それよりは優しく包み込んでしまうような?あちらから(曲から)も自分からも「そうだよね、そうなんだよね」のような共通した想いを感じるような?そこを包み込む、自分のすべてを使って・・・

心で泣いていた時、曲は包み込んでくれたはずだ。今度は自分で曲を包み込むのだ。

kaz




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