ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

仲間 

 

ピアノって練習も孤独だし、舞台に出ていく前も孤独だけれど、舞台で弾いてしまえば、孤独ではなくなる時もある。何というのかな、一体感のようなものを感じる時もある。そこまでいかないことも多いけれど、感じたときは、まさにエクスタシーのような・・・

聴いている人がピアノを弾くとか、弾かないとか、こちらが知っている人だとか、そのようなことは一切関係なく、弾いているものに対して、返ってくるものがある。「そうだね・・・」みたいな?うまく説明できないけれど・・・

弾いている人は、ただ音符を追っているわけではない。その中に必ず「そうだね、そうだよね」と共感する部分がある。だから弾いているのだ。曲との「そうだよね」が、今度は弾いている側が「そうだよね」というものを受けるのだ。

仲間・・・ということなんだと思う。「ここ、難しいけど、好きなところなんだ」「そうね、そこ、いいよね」みたいなものが返ってくる。

人は、さまざまなもの抱えて生きていて、でもそれは自分一人ではなくて・・・

「そうだね」「そうだよね、そうなんだ・・・」

ピアノを弾くということは孤独ではない。仲間がいれば・・・

kaz




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孤独 

 

演奏前は緊張する。していないように見える・・・という人はいるかもしれないが、緊張しない人っていないのではないかな?

緊張しないための方法というものを考えるよりは、緊張してどうするか・・・を考えた方がいいような気がする。

① 本番とか、今この瞬間・・・ではなく、曲と出逢った、ときめきの時を思い出す
② 人のミスって自分が聴き手だったら気にならない。自分のミスも同じ
③ そもそも緊張しないということは、弛緩ということでは?

「~になったらどうしよう?」もちろん逃げ帰ってくるわけにはいかないので、②を感じてみる。「あの部分、練習では弾けたんだけどな」①を感じてみる・・・のように対処は色々とあるかもしれない。

ソロの場合と、共演者がいる場合では、緊張の種類というものも違うんじゃないかな?舞台上の人数が沢山いれば緊張しないということではないだろうが、例えばフィギュアスケートのシングルの試合、サッカーの試合、選手の緊張の種類は異なるような気はする。

ソロの場合、圧倒的な孤独感、これが緊張を生むのでは?何があっても自分一人なのだという孤独感。

kaz




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練習 

 

リストはグリーグのコンチェルトをグリーグの目の前で初見で見事に弾いてしまったらしい。アルゲリッチは隣室から聴こえてきたプロコフィエフの3番のコンチェルトを耳だけで覚えてしまい、それだけで弾いてしまった・・・

このようなエピソードって、都市伝説のような?本当だろうか・・・などと思ったりもする。でもまあ、本当なのかもしれない。アルゲリッチは、プロコフィエフの3番よりも、はるかに音の少ない曲などは、練習などしなくても弾けてしまう?ショパンのソナタとか、聴いただけで弾けてしまう?

やはり練習はするのではないだろうか?危険なのは、難なく曲を弾けている人は、そのような何かしらの才能があると思ってしまうこと。「自分とは違うんだわ」みたいな。そうではなく、他人には思いもよらない練習をしていたりするんじゃないかな。

練習というものは、継続性、習慣性を持つものだから、ある意味危険なのだ。本人は一生懸命練習しているつもりであっても、どこか道からそれてしまっている。でも本人は気づかない・・・みたいな?

音楽的な表現というもの、自分でも不足していると思う。でもどうしていいのか分からない。なので、とりあえず難しいパッセージを練習する。実際に弾けないところは沢山あるし、練習すべき箇所は沢山ある。あたかも、機械的にでも繰り返しパッセージを練習していれば、音楽表現の神様が、いつか舞い降りてくるかのように練習する。でも、音楽的表現のための練習というものは、別にあったりして。茨道を通った人のみが音楽的経験に目覚めるということでもなかったりして。その部分は突き詰めてしまうのが苦しいので、とりあえず反復練習をする・・・するしかない。これは辛いだろうと思う。

機械的な練習ばかりしていると、いつのまにか「保険練習」のようになってしまう危険性もある。この部分が心配だから、本番で失敗したらイヤだから、とにかく繰り返し練習するのように。本番での安心感を練習で買う・・・のような?本番では緊張し、100パーセントの力は出せない。なので日頃から120パーセント弾けるようにしておくのだ。このような考えって、賞賛されたりするのではないかな?でも安心を買う・・・みたいな保険みたいだ。

本番でも練習の時と同じように弾けるようにする。徹底的に。でも、本番は自宅での練習とは異なる要因が沢山ある。着ている服がいつもと違うし、靴も違う。聴いている人がいるということも違うし、楽器も空間の感覚も異なる。いつもいつも「同じように・・・」と念じて練習していたら、同じではなくなった時にどうしたらいいのだろう?

「あんなに練習したのに・・・」この時の落ち込みようったらない。あんなに・・・がいけなかったのかも?「同じように」ではなく「違った場合どうするか」という対処に欠けていたのかも・・・

ピアニストも練習する・・・

kaz




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涙への信頼 

 

「プロじゃないし」「音大なんて出ていないし」「まだピアノを再開して間もなくて初心者だし」

現在の立ち位置のようなものはあるだろう。その人それぞれの。でも皆同じではないかと思うことがある。それは演奏、音楽を聴いて心が動くという摩訶不思議な現象。

「この曲を聴くと涙が出てしまう」「なぜこんなに哀しくなってしまうのかな?」「ああ、もうどうしていいか分からないぐらいにこの演奏が好き」みたいなこと。

私はチェルニー30番だから、30番程度の感動、誰それさんはショパンのエチュードを弾いているから、ショパンのエチュード仕様の感動があるんだわ。こんなことはない・・・と思う。

純粋に鑑賞者として心が動いた、ここに音楽歴での差はないと思う。むろん、経験や訓練によって聴き方が違ってくる、深く聴こえるというか、それまで聴こえなかったものが聴こえてくるということはあると思う。でも、初心者はこれぐらいとか、上級者はそれなりの感動とか、そんなことはないと思う。音大生とアマチュアの感動能力の差というものは、僕はないと思う。あるとしたら、個人的な差・・・ではないかな?

フレイレだから、自分が受けた感動を、このように、さらに他人に渡せるのかな?フレイレじゃないとダメなのかな?感動した、聴いて涙したということは、実は凄いことなんじゃないかな?

信じるということかもしれない。自分を導いてくれる師を信じる、涙溢れた自分を信じる・・・

ピアノに関して、死ぬときに「やっておけばよかった」と後悔するのは、この部分かもしれない。

kaz




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レパートリー 

 

ピアノ、クラシック音楽全般について素人の人。厳密には僕も、そしてこのブログを読んでくれる人も、アマチュアの人が多いと思うのだが、そのような意味での素人、プロですか、それとも素人ですか・・・という意味での素人ではなく、クラシック音楽に全く日常生活において接点のない人。「エリーゼのために」を聴いたことはある。「あっ、これ知ってる」でも作曲者を知らない。「えっと、チャイコフスキー?」みたいな?「白鳥の湖?えっとシューベルト?」みたいな人。

統計から考えてみると、毎日通勤電車の中で会う人たち、ほとんどの人が、このような素人ということになる。ピアノを習い、サークルに出席し、日常的にピアノオフ会などにも馴染んでいると、ついピアノを弾く人に取り巻かれてしまったりするけれど、ピアノを弾いている人は全体からするとごく少数なのだと思う。つまりマイノリティ???

素人さんって、ピアノを習っている人は、なんでも、どのような曲も弾けると思っていたりする。これは困る。「ねえ、幻想即興曲弾いて!」「リストの・・・何だっけ、愛の夢、それ弾いて!」

「弾いてと言われても・・・」

ピアノ教師なんか、きっと素人さんは「先生なんだから何でも弾けるのよ」と思っている人は多いのではないだろうか?僕だって○○流の生け花の師匠とか、なんでも知っている、お花については、できないことはない・・・みたいに思ったりもするもの。

レパートリー・・・実は持っていない人、プロは別として結構多いのではないだろうか?別に人前で暗譜で完璧に・・・ということではなくても、「えっと、今習っている曲は譜読み段階だし、発表会で弾いた曲は忘却の彼方でもう弾けないし。あっ、この間のレッスンでハノンが合格したから、スケールのヘ長調だったら弾けるわ」

これはちょっと寂しい。ハノン・・・ではなくても、チェルニー、この間合格したから〇番だったら弾けるかも・・・これもちょっと寂しい。

何か、いつでも弾ける、自分の惚れた(!)曲があっていいように思う。「ねぇ、ピアノ習ってるんでしょ?何か弾いて」と言われたら弾ける曲。つまりレパートリー。

僕の経験では、アメリカ人って、そのようなことに関して屈託がないというか、おおらかというか。クリスマスや感謝祭などで、ピアノがあったりすると「ねぇ、弾いてよ」とか、よくある。その時に「実は習ってはいるんだけど、譜読み段階でぇ・・・」とか「そんなぁ、人様にお聴かせできるようなもんじゃなくってよ!」ということは少なく、何か弾いてしまう人が多い。その演奏が「譜読み中ですか」のようなものであったとしても(そのようなことは多かったように感じる)、少なくとも「実に楽しそう」ではあった。別にコンクールでもないのだから、それはそれで羨ましいと思ったりもした。

「なんで自分は弾けないとか、下手だからなんて言うんだ?」などと叱責されたことさえある。

文化の違いと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが・・・

素敵だな・・・そう思ってピアノを始めた、再開したのであるのならば、その「素敵だな」を他人と共有できたら楽しいのではないだろうか?

kaz




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