ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

~らしく弾く 

 

バッハをショパンのように弾いてはいけない、モーツァルトをドビュッシーのように弾いてはいけない・・・

当たり前のことのように思う。そうだとされているから。

バッハはバロック時代の作品だから。モーツァルトは古典派だから。ショパンはロマン派だから。様式感というものがあるよね。

「バッハなのだから、もっとバッハらしく弾いて!」「古典派の作品なのだから、古典派らしく弾いて!」

「~らしく・・・」

当たり前のことのように思う。そうだとされているから。

ではモーツァルトとハイドンでは、どのように弾き分ければいいのだろう?ショパンとシューマンでは?ドビュッシーとラヴェルでは?バッハとヘンデルでは?

このあたりになると、答えにつまる人も出てくるのではないだろうかと思う。なんとなく「~らしく」では解決できないことのように思うから。

「ドビュッシー・・・なんとなく曖昧に・・・」「モーツァルト・・・なんとなくはっきりと明快に・・・」でいいのだろうか?いけないと思う。ではどうするのか?このあたりの具体的な指摘というものが指導側に不足しているケースもあるのではないか?

バルダッサーレ・ガルッピ・・・1706年生まれの人で、名前から分かるようにイタリアの作曲家だ。オペラ・ブッファの作品で名を残したという。モーツァルト父子もガルッピの作品は知っていて、楽譜も持っていたらしい。実際に弾いたのかは不明だが。

そうなると、モーツァルト以前の作品ということで、そして伴奏はよくあるアルベルティ系だとすると、ガルッピ作品は「はっきりと明快に弾く」ということになるのだろうか?むろん、現代のピアノで演奏する際には、当時の楽器(チェンバロか?)を連想しながら?

そうなのだろう・・・きっとそうなのだろう・・・

では、この演奏はどう受け取ればいいのだろう?ミケランジェリは昔からガルッピが好きだったみたいだ。彼の演奏は「いかにも古典派、はっきりと・・・」という感じではなく、非常に美しい。とても美しい。

この演奏は、どう聴いても「いかにも古典派」「いかにもバロック」のようなカテゴライズをしていないように感じる。「~らしく・・・」を感じないというか・・・

「それはピアニストだから許されるのよ。ミケランジェリだから。学習者は学習者らしく弾くのよ!」

そうか?

ガルッピとハイドン、そしてモーツァルト、どのように弾き分けるのだろう?

kaz



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category: ピアノ雑感

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