ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

コンクールの限界 

 

サラ・チャンの両親は彼女にコンクールというものを受けさせなかった。コンクールよりはオーディションという考えだったらしい。

似たようなデビューの仕方としてはユジャ・ワンもそうだと思う。彼女はコンクール歴があるけれど、世に出たのは、たしかアルゲリッチの代役としてだったと思う。鮮烈なデビューだった。これは、オーディションを受けることによって、インプレサリオたちに名前と顔、そして演奏を覚えてもらうということがデビューにつながったケースなのだと思う。

ユジャ・ワンと同じくカーティス音楽院でグラフマン門下のラン・ランも、同じようにオーディション、そして代役(たしかワッツの代役だったと記憶している)という順序でスターになったピアニストだ。彼もコンクール歴はあるけれど、コンクールによって注目されたわけではない。

サラ・チャン、ユジャ・ワン、そしてラン・ラン・・・コンクールではなく、彼らのようにインプレサリオたちに認められて世に出る演奏家がこれからは増えていくのだろうか?

ラン・ランの自伝を読むと、グラフマンはコンクール出場をラン・ランに禁じていたようで、おそらくユジャ・ワンにも同じだったのではないかと思う。コンクールで世に出なくても、彼らは演奏家としての魅力があり、インプレサリオは彼らにいつか注目し、そうなれば聴衆も彼らに夢中になるであろうと計画したのではないだろうか?なのでコンクールではなくオーディションを受けさせた・・・

これはコンクールに出場させるということは、そのピアにイストが、どこか演奏家としての魅力、カリスマ性に欠けていて、コンクールでしか世に出るチャンスはないのだという考えにもつながる。グラフマンは(名前は書かないが)実際にある中国人青年をヴァン・クライバーン国際コンクールに出場させていて、そして優勝させている。でも実際には彼はユジャ・ワンやラン・ランほどインプレサリオには注目されなかったように思う。グラフマンはドライな人なのだろうか?アメリカ人らしいといえばそうだが・・・

演奏会は演奏家の品評会ではないのだから、なにかしらの魅力が演奏家に備わっていないかぎり、息の長い活動をしていくのは難しいのではないか・・・

そしてその魅力の発掘というもの、その役割を担うには、もうコンクールは限界なのではないか・・・

ユジャ・ワンの演奏を聴きながら、そのようなことを考えたりしている。

kaz



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