ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

鑑賞者と学習者 

 

ピアノを再開して間もないとする。まだ曲を仕上げるのにも時間を要するとする。

そして思う・・・

「まだ自分は弾けないから、ただ弾いているだけでやっとなんだ」と・・・

弾き続けて自分も上達すれば、表現力豊かに弾けるようになるのだ・・・

たしかに、経験や知識も必要だろうけれど、はたして実際に上達しなければ、思うように弾けないものなのだろうか?指の敏捷性やらアナリーゼ能力などはそのような要素も多分にあるだろうけれど、はたして自分はまだ未熟だから表現力がないと言えるのだろうか?

上達さえすれば、弾けるように?

鑑賞者としては、自分のピアノの弾きこなす能力がどのような過程であろうと、頭の中では理想のサウンドが鳴るものではないだろうか?そのサウンドと自分が実際に鳴らすサウンドとの距離はあるのだろうけれど、でもその差を埋めようとするのが練習なのではないだろうか?

初心者は、「どのように弾いていいのか分からない」「理想のサウンドそのものが存在しない」ということが普通にあるものなのだろうか?

理想とは遠い・・・というのは理解できる。実際にはそのようには弾けない・・・というのは分かる。

でも初心者なので、理想のサウンドそのものが鳴らせないということが今一つ理解できないでいる。

学習者としてノウハウを知ることと同時に、鑑賞者としてもノウハウが必要なのかもしれない。

そんなことを最近考える。

kaz

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category: ピアノ雑感

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コメント

 

こんにちは!

見当外れなコメントでないか心配なのですが・・・(笑)
鑑賞者としてのノウハウ・・・私はあるのではないかと思います。

以前にフィギュアスケートの投稿にコメントさせて頂きました、アルベールビル・オリンピックでのクリモワ・ポノマレンコ組の演技はバッハのG線上のアリアで始まりますよね。

純粋に音楽を鑑賞するとは違うのですが、あのプログラムを見た時に私は真っ先にネクラーソフの「デカブリストの妻」を思い出しました。ソ連のペアだったから安易に結びつけたところもあるかもしれません(笑)、そしてそのイメージからG線上のアリアのあの静かなメロディーに、どこまでも続くシベリアの凍った、あらゆる音を吸い取ってしまうであろう大地と身を切るような冷たい風を思い浮かべました。そしてそういう音を出したいと(曲はG線上のアリアでなくても良いのですが)思う・・。私はそうやってピアノを続けてきたように思います。

どのように鑑賞するかが、どのように演奏するかにも繋がるのではないでしょうか。それは、人前での演奏が上手くいくかどうかとはちょっと違ったことかもしれませんが。



#- | URL | 2014/07/13 09:41 | edit

お名前が分からないのですが・・・

コメントありがとうございます。ネクラ―ソフ・・・なんとも懐かしい。若い頃は胸を熱くして読んだものです。今は、そんなエネルギーはありませんが。

僕は、「深く鑑賞できる人」は、ピアノ演奏の上達も早いのではないかと思ったりしています。

kaz #- | URL | 2014/07/14 21:11 | edit

いつも気になっていました。
初めてコメント致します。


ピアノの上達、ということと
自分を表現する、ということ。
なぜ区別するのでしょう?

両方必要です。

イメージを音にする。
良いと思います。

ピアノを選んだ以上、自分の思いをイメージを
ピアノという楽器に表現を託すわけです。

ただ単に、手段がピアノだけだった。
その通りですが、あまりにピアノに対して横柄すぎます。
だから上手くならないんです。

まず、ピアノという楽器を上手く鳴らせ、響かせることができるようになること。
イコール上達すること。
これをやるのが当たり前です。
最初から、自分の表現、自分のイメージ、押し付けすぎです。
押しも必要ですが、引きも必要です。


自分のイメージを音にする、理想に近づける。
それだけ考えて満足できるほどピアノは容易ではないし、普通、それほどの才能もありません。せいぜいそのやり方では、一般人ならブルグミュラーどまりになってしまうでしょう。

イメージを音にすること、それの近道は、ピアノを上手になること。
自分のイメージや思いがある人ほど、近道になります。





あいこ #- | URL | 2014/07/15 11:06 | edit

あいこさま

コメントありがとうございます。

ほとんどミスなく弾いても、なんら心に訴えてこない演奏というものも多いということを考えると、本当の意味でのピアノの上達というものは、自分の内からのものの表現というものと、それを伝えることのできる技能というものとの一致が必要だと思われます。そのような意味において、表現と上達というものを分離して考えているつもりはありません。

ミスなく弾ける、難曲が弾けるということ、指の敏捷性のようなもの、それらが達成されることが「上達」だとも思えません。

kaz #- | URL | 2014/07/15 11:30 | edit

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