ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

聴こえなくても聴こえるから・・・ 

 

「kaz君・・・ねえ、kaz君・・・聴こえなかった?何回も呼んだんだよ!」

そのようなことが何回かあった。「kaz君は耳が遠いんじゃない?」そのように言われたこともある。

小学生の時だ。ちょうどその頃は音楽を聴く喜びに目覚めた頃でもあった。沢山のレコードを聴かせてもらうため、医大生と過ごす時間が多かった頃だ。僕自身は自分が難聴であるとの自覚はなかった。友達とも普通に会話していたし、皆も自分と同じような聴こえ方なのだと思っていた。

自覚症状というものは感じていなかったけれど、両親は心配し、僕を病院に連れて行った。その日のことは、なんとなく覚えている。僕は病院や難聴のことよりも、両親と共に出掛けられるということが、ただ嬉しかった記憶がある。両親共、とても多忙で、家族で旅行をしたりとか、そのようなことは滅多になく、ピアノの発表会はもちろん、学校の行事でさえ両親が来てくれたことは一度もなかったのだ。それが普通のことだと思っていたし、姉と二人で食事を作って食べたりすることにも慣れていた。僕にとっては、それが普通の生活だったのだ。寂しいと思ったことはない。そして一人で過ごす時間が多かったということが、僕が音楽を聴くことに結びついていったのだと思う。

「えっ、そんなに聴こえていなかったんですか?」

「こうなった原因は何だったんですか、これからどうすればいいのでしょう?」

病院を出て、トボトボと歩いた。なんだか大変な事になったらしいということは感じたけれど、やはり実感はなかった。

「kaz・・・せっかく銀座まで出てきたんだし、こんな機会はあまり作れないから、何か買ってあげるよ、なんでもいい。何が欲しいんだ?」

僕の両親は、僕が何かをねだっても、決して買ってくれるということはなかった。小遣いの中で欲しいものを買う意外になかった。友達と駄菓子屋で何か買ったりすると、すぐに小遣いなんて無くなってしまう。それでも、少しずつ倹約し、僕にとっては高価であったLPレコードを集めていくのが僕の楽しみだった。なので、部屋中がクラシックのレコードで埋もれていた医大生の部屋で音楽を聴くことが僕の喜びでもあったのだ。

「僕、レコードが欲しいな・・・」

「レコード?いいよ。買ってやるよ。何枚でも買ってやるよ・・・」

おそらく、銀座の日本楽器だったのだと思う。そこには、いつもの駅前のレコード店と違い、沢山のクラシックのレコードがあった。僕はヴァイオリンのレコードが欲しかった。

医大生が聴かせてくれたフランチェスカッティのレコードを探した。

「あの曲が聴きたい。僕もあのレコードが欲しい・・・」

フランチェスカティが弾いているクライスラーの作品のレコードを探し当てた。

「これから毎日僕もフランチェスカッティを聴けるんだ・・・あの曲を毎日聴けるんだ・・・」

僕の大好きだった曲が、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」という曲で、「愛の喜び」とか「美しきロスマリン」のような通俗性はない、どちらかというと地味な曲だったけれど、僕は完璧なる音色、完璧なる技巧で圧倒させてくれるフランチェスカッティのこの曲の演奏が大好きだったのだ。

「このレコードが欲しい・・・」

僕はこの曲のフランチェスカッティの演奏を聴くと、あの日の宣告の日を想い出す。それは哀しい想い出ではない。どこか遠く、淡い想い出だ。

僕は人よりも聴こえなくても、この演奏が聴けるのであればいい・・・そう思った記憶がある。

kaz



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