ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

夜景 

 

何度も攻撃を受けた。何度も・・・

そのたびに「自分はこれまでかな・・・」と思った。

手術は痛いし、抗癌剤は、死んだ方がマシ・・・というくらいに辛かった。

何人も同じ病気の友を見送った。彼らは僕に言った。「思い残すことはないんだ。今は冷静だし穏やかな気持ちだ。幸せな人生だったと思う。悔いはないんだ。あとはこの世からいなくなるだけ・・・」

僕はまだ冷静になんかなれない。病室の窓から夜景を見ながら「まだ死にたくない」と思った。

今は術後の痛みも抗癌剤の辛さも感じていない。ただ以前よりも疲労感を感じるようになっただけだ。中年なので、普通でも体力は落ちていく時期なのだろう。そこへさらにドンときた感じだ。

弾こうと思っていた曲が弾けない・・・

この辛さを味わった。何度も・・・

これは精神的に辛い。自分としては以前の感覚が残っているから、体力的に弾けないということを認めたくない。今はこの状態と闘っている段階だ。

なんだかいいことないよな・・・と思う。

でも本当に悪いことだらけなんだろうか?

人前でピアノを弾く時の精神的な何かが変化したと思う。うまく説明できないのだが、「伝えたい」という思いが強くなった。むろん、失敗しませんように・・・とか、途中で真っ白になったらどうしようとか・・・思う。それは思うけれど、音楽って「自分が~弾けたら」というもの、それ以上の何かを秘めているような気がした。

病室で僕はいろいろな音楽を聴いた。

最も辛い時、屋上から飛び降りたら今の辛さから逃げられるのだな・・・そう思った時、僕はジノの演奏するこの曲のCDを何度も聴いた。何度も・・・

この曲、この演奏の何かが僕の中の何かに語りかけた。「まだ諦めるな・・・」と。

この演奏の何かが、あの時の僕の衝動をひき止めた。

物凄く強い想いが湧き起った。

「僕も触れたい・・・」と。

このように弾きたい・・・ではないんだ。触れたい・・・と。

一人の弱い人間の辛さからの逃避、そこからくる衝動的な願望、そのようなものをジノの演奏が止めた。

「待て・・・」と。

音楽の作用なのか、演奏の作用なのか、おそらく両方なのだと思う。

それだけの「人の気持ちを、人の魂を動かす何か」が音楽には潜んでいる。

そこに触れたい、他の人にも、自分のこの気持ちを伝えたい・・・

それができたら、友のように「思い残すことはないんだ」と僕も言えるのかもしれない。

僕の命をつないだ演奏であり、音楽にはそのような力があるのだと信じる。

もしかしたら、ジノのこの演奏、僕の人生の最も辛い瞬間を救ってくれたのかもしれない。

今も自分が弱くなる時はある。そのような時が多いくらいだ。

「疲れて練習できないよ・・・」「電子ピアノの蓋を開ける体力もないよ・・・」

その時の感情で、その時の自分というものを定義づけしたくなる。

でも「待て!」という声が聴こえる・・・

その時、僕はジノの演奏を聴く。

病室からの夜景を想いながら・・・

あの時の衝動を想いながら・・・

kaz

この文章とジノの演奏を、上手く弾けなかったと自分で思い、落ち込んでいる(と思われる)ピアノ仲間に捧げる。



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top