ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

クレモナのヴァイオリン作り 

 

そろそろ日本に帰ろうと思う。あと8日でサークルの演奏会なんだなぁ・・・と思う。本来は旅などしている場合ではないのかもしれん。でも不思議と緊張感はない。実感がないだけかもしれないが・・・

クレモナという街にいる。あとはミラノ経由で帰国するだけだ。

クレモナという街はヴァイオリニストにとってはお馴染みの街だろうと思う。歩いて回れるほどの小さな街だけれど、この街はヴァイオリンの街でもあるのだ。かつて、ストラディバリ、アマーティ、グァルネリといった人たちが、この小さな街でヴァイオリンを製作していた。現在でも工房が多く存在している。

街の規模からすると、とても立派な大聖堂(ドゥオーモ)があり、そこのオルガンの音色も聴けた。モンテヴェルディは、このクレモナ出身で、ここのオルガンを弾いていたのだそうだ。塔に登り、街を見下ろす。ストラディバリもモンテヴェルディも、この風景を見たのだな・・・そう思う。

クレモナという街、ヴァイオリン、どうしてもAさんのことを想い出してしまう。なぜか僕のことを気に入って友人としてつきあってくれた。「kazさんもピアノ弾きなさいよ・・・」と会うたびに言っていた。アメリカで修業し、ガラミアンに師事し、そしてアメリカで生活していたAさんが帰国したのは、癌を患っていたため。

彼のヴァイオリンの伴奏を一度だけしたことがある。もちろん演奏会ではなく、彼の自宅で。「一緒に弾いてみたいな・・・ピアノのパートは簡単な曲だし、kazさんでも弾けると思うよ」と、半ば強引に弾かされた。当時はピアノを再開していなかったけれど、きちんとは弾けなくても、「なんちゃってピアノ」は弾けたのだ。僕のピアノは今でも「なんちゃってピアノ」の延長だ。

Aさんは、その頃は、もう末期でやせ細って、歩くのもやっとの状態だった。立って弾くことはできない状態だったけれど、その時は立って弾いた。「あまり無理しない方が・・・」「いや、僕は弾きたいんだ、一緒に・・・」

その時、一緒に弾いたのがイェネー・フバイの「クレモナのヴァイオリン作り」という小品だったのだ。たしかにピアノのパートは僕でも初見で弾けるくらいのシンプルな曲だった。

Aさんを見送り、そしてほどなく僕自身も癌を患うことになった。Aさんは僕を連れていきたかったのだろうか?長い間、僕はそのように思っていた。「連れて行かれる・・・」という漠とした感覚もあった。

クレモナの街に佇み、そして、かつて弾いたフバイの「クレモナのヴァイオリン作り」のサウンドを想い出し、そして感じている。フバイ、Aさん、そして音楽・・・

Aさんは、僕に伝えたかったのだと思う。人生を振り返る時、その時に音楽があれば、そして自分で触れることができれば、それは「生きた」ということの証になるのだと・・・

Aさんの死、そして自分自身の発病、そのことは、僕の人生の振り返りや、やり残しを真剣に考える機会となった。僕は自分の人生に「ピアノ」というものを入れたのだ。

「なんちゃってピアノ」でもいいのだ。弾いていこうと思った。クレモナの街は、その思いを新たに感じさせてくれる。

kaz



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category: 履歴書

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