ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

バスティアニーニ巡礼 終結 

 

以前のようにはピアノを弾けない・・・

ある曲に挑戦して弾けなかった時、そう思った。以前だったら弾けたのに・・・

「弾ける!」という感触はあるのだ。でも身体がついていかない。

悔しい・・・というより恐怖心の方が強かった。サークルの演奏会も、計画していた曲よりも難易度、そして体力的負担を軽減した曲にした。レッスンにも通えていない。発表会はどうするのか・・・

ピアノに関しては、何もかも消極的になるのを感じた。やめよう・・・とは思わないけれど、これからの自分のピアノライフをどのように構築していくのか考えるのが億劫だった。考えたくなかった。怖いから・・・

バスティアニーニは「歌えなくなる」という一点に向かって歌い続けた。彼を追うことは正直辛かった。

Mに連れられて、小さなレストラン兼飲み屋に行った。そこにはピアノがあった。Mがグランドピアノのある店を調べておいてくれたのだ。そして事前に店にピアノを弾くことの承諾を貰っておいてくれたのだ。つまり、イタリアで僕がピアノをいきなり弾くということだ。

店には5人の客がいた。店のスタッフはオーナーも含め4人。Mを含め、たった10人の聴衆だ。でも大袈裟に考えてみれば、これは僕のヨーロッパデビューになるのか???

僕はグラナドスとラミレスの「アルフォンシーナの海」を弾いた。緊張なんかしなかったな。

得体の知れない、というか見たことのないメーカーのピアノだったけれど、弾きやすかった。

Mが僕の紹介と、僕が言った曲の解説をイタリア語で通訳してくれる。

音楽・・・それは今まで逢ったことのない人、言葉の通じない人、異なる世界に住む人、それらの壁を取り払い、共有できるものなのだ。そう感じた。とても幸せな瞬間だ。弾き終わると、皆が泣いて抱きしめてくれる。イタリア人はオーバーなのかもしれない。でも久々にピアノが弾けて良かったと思えた瞬間だった。

僕は誰かと何かをピアノで共有したいのだ。やっとそう思えた・・・

そのあと、Mとバスティアニーニの墓に行く。小さな墓だ。

シエナには「エットレ・バスティアニーニ通り」という通りもある。でもオペラ好きでもなければ、バスティアニーニのことを知る人はシエナでも少ないだろう。でも墓には花が供えられている。以前に来たときもそうだった。ここはバリトンにとって、いや、歌手にとって、歌手を志す人にとっては聖地なのかもしれない。

墓碑銘が刻まれている。

「栄光を得、悲しみを知り、愛されることを知り、君は一つ以上の生を生きた」

恐怖心は消えない。でも僕はピアノが大好きだ。そう思えた。やっと・・・

以前に来たときのように、あたりは「無」の世界になる。ここに来ると風さえなくなるのだ。不思議だ。さえずっていたいた鳥の声もしなくなる・・・

何も聴こえない・・・

何も感じない・・・

跪いて祈る。無宗教の僕が祈るのは変か?でもエットレを想い、音楽に捧げた人生を想い、彼の声を想う。

エットレの声が聴こえた。たしかに聴こえた・・・

「俺、俺・・・歌が好きだ・・・俺・・・やってみるよ」



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