ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

バスティアニーニ巡礼 4 

 

治療を続けながら、そして歌い続ける・・・

フランコ・コレッリは当時のエットレについてこう語っている。「彼のキャリアの最後の年、アメリカでの公演が一緒だった。声は薄くなり、かつての柔らかさを失っていたけれど、僕は一時的な不調かなと思っていた。僕だけではなく我々歌手仲間はそう思っていたと思う。おそらく軽い咽頭炎かなにかだとね。それで僕に効果のあった薬を彼に渡したんだ。後でお礼の電話をかけてきて、自分の問題は、あの薬では解決しないんだ・・・と言っていた。彼の死後、僕はエットレが何年も癌と闘っていたことを知ったんだ」

一時的な不調・・・そうではなかったのだ。そのことに感づいた人もいる。エットレの才能を見出したガエターノ・ヴァンニ。エットレはもう舞台に立つのが耐えられないようにも見えたという。声だけではなく舞台での集中力にも欠けているように思えたと。ヴァンニは楽屋まで行きエットレに訊ねる。「エットレ・・・いったいどうしたんだ?力をセーブしているのか?それとも何か他に問題があるのか?」と。エットレは「声の調子が良くなくて・・・」とやっと答えたという。

主要な歌劇場がエットレとの次シーズンの契約を見送っていく。スカラ座、そしてウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場・・・

「癌の転移が複数認められる・・・化学療法はこの状態では有効ではない・・・」

1965年、スイスで集中的な治療・・・

エットレは、スイスでの治療後、日本での公演を行う。単独で来日しリサイタルを行った。イタオペでの「トロヴァトーレ」、そして2年後の、この時のリサイタル、録音が残っているけれど、聴いてみると、2年の間に癌がエットレの声の輝きを奪い取ってしまったのが分かる。

1965年12月、メトロポリタン歌劇場でのヴェルディ、「ドン・カルロ」がエットレ・バスティアニーニの最後の舞台となった。歌は、そしてオペラは彼のすべてだった。歌うことが彼の人生そのものだった。

その後、エットレは急激に衰弱していったようだ。1966年、友人がエットレの様子をこのように語っている。「土色で、もうエットレだと見分けがつかなかった。服だけが歩いているようで。声は・・・もう話もできないくらいで・・・」

この時期のエットレが友人に書いた手紙にはこのように書かれている。「僕は、今、何も怖くない。ただ仕方がないけれど、声をなくして生き続けなければならないということだけが怖い。僕にはもう人に与えられるものは何もない。人も僕に何も与えてくれないだろう・・・」

人生最後の数か月、エットレはシルミオーネで暮らした。一人孤独に耐えながら最後の日々を待った。

1967年1月25日、医師が看護師に「もう最後だ。親しい人を呼びなさい」と告げる。エットレは十字架をも持てないほど弱り切っている。友人たちは遠くに暮らしており、間に合わない・・・

エットレの臨終を看取ったのは、かつての恋人、マヌエーラだったという・・・

1965年、日本公演でのエットレ・・・

かつての声の輝きはもうそこにはない。でも治療の苦しみに耐えながら、痛みをこらえながら、それでも歌うのだ。日本の聴衆はエットレが癌だということは、もちろん知らない・・・

歌えなくなる半年前、エットレは日本で歌ってくれたのだ。その歌声は最後の輝きのように聴こえてくる。



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