ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

アドリア海の風が生んだ歌 

 

今はアンコーナという街にいる。Mも今まで訪れたことはなかったそうだ。アドリア海を望む港町・・・

静かな、観光地でもないアンコーナ、ここはフランコ・コレッリの生まれ育った街でもある。小学生だった僕に、ある意味、音楽の扉を開き、中に導いた人でもある。初めて生演奏で泣いた演奏会、それがコレッリのリサイタルだったのだ。

昔の声楽家はピアニストのように、早期英才教育という道を辿らない人が多い。そして割と貧しい家庭に生まれた人が多い。周囲が、類まれな美声を認め、本人もそれに気づき、歌手を目指したという人が圧倒的に多い。

コレッリは極貧という家庭で育ったわけではない。父親は造船所の技師だった。このアンコーナの街の人々は、海と共に生活し、海に関わる仕事で生計を立てるのが普通だったのだ。

コレッリも、父親のように、最初は「海の男」だったのだ。測量技師、そして船舶の技師の資格を経て市役所に勤務していた。堅実で穏やかな人生、美しい港町での静かで平和な生活・・・

このような想像をしてみる。堅実な人生を送り、安定した職業に就いていた30歳近い息子が、ある日こう言ったら・・・と。

「僕はオペラ歌手になりたい!」

ほぼすべての親が反対するのではないだろうかと思う。安定した仕事を捨て、成功するかもわからない、いや、成功などしないことが普通の、そんな夢物語みたいなオペラ歌手を今さら目指すなんて・・・

「そんなに歌が好きなら、アマチュアとして仕事をしながら趣味で楽しめばいいでしょ?」

コレッリ自身もオペラ歌手というものは、生まれながらになるものだと思っていたそうだ。生まれながらの美声を持ち、隠された才能を持っていた人こそがオペラ歌手になれるのだと。練習や訓練でオペラ歌手になどなれるものではないと・・・

コレッリは生まれながらに類まれな美声を持っていたわけではない。彼の声は訓練の賜物なのだ。たしかにコレッリの声は独特なところがある。事実、オーディションを受け始めた頃、コレッリは多くの人に言われたのだそうだ。「なんて酷い声なんだ!」「オペラ歌手なんて無理だよ、その声じゃね・・・」

普通はここで諦めてしまうのだ。どんなに音楽が好きでも。歌が好きでも・・・

コレッリには憧れがあり、音楽への情熱があったのだろう。

自身、自分の声が、いわゆる「美声」ではないことを自覚していたコレッリは、偉大なる歌手、カルーソーについて書かれたアメリカでの批評を自分の心の中で唱えながら歌手の道を目指した。

「カルーソーの声は美しい声だ。だがその心は声よりも大きく、そして素晴らしい!」

コレッリの歌唱・・・8歳の時に実際に聴いた時の感動を僕は忘れることができない。

小さな美しい港町アンコーナ、ここでコレッリは育ったのだ。海から30メートルほどのところに彼の家はあったのだそうだ。海に生きる人生のはずだったのだ。でも何者かが彼の「心」に歌への憧れを秘めさせたのだ。

アドリア海からの風を静かに感じながら、コレッリ、そして音楽を感じる・・・

kaz



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