ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

楽しいレッスン、追うレッスン 

 

街のピアノ教室の先生、その責任の大きさについて考えている。多くの生徒はピアノを一度は辞めるのが普通だろうと思う。普通は進学ということで辞めてしまうことが多いと思う。では、辞めてしまった生徒は、その後ピアノとの関わりはなくなるのであろうか?たしかに、結婚して子育て、そして介護とか、就職してキャリアを磨くという生活にどの人もなっていくのが普通で、その間はピアノのことや、昔ピアノを習っていたことすら忘れて生活しているのが普通だと思う。この期間をブランクというのだと思うが、ブランクが何年あろうと、人間であれば、再びピアノの魅力にハマるのではないかと思う。その時・・・

そう、その時に「ああ、ピアノと出逢えてよかった」「ピアノが弾けてよかった」と思えるのかどうか・・・

基礎があれば・・・と思う。むろん、そこには読譜力や指のアジリティという側面もあると思うが、それよりも「音楽とどのように関わっていくか、ピアノって、あなたにとって何?」のような、もっと根本的な部分・・・

どうも、最近の子どものピアノレッスンの方向性として、感性を磨くということに目的がシフトしすぎていると思う。感性を磨くのが必要なのは、むしろ大人のほうであって、子どもには「将来まで続く基礎力」というものが大事なのではないかと思う。

そしてこうも思う。「生徒が興味を示さないから」・・・「では興味を示し、目を輝かせて取り組む方法は?」とか「練習しないのよね」・・・「では練習の意欲を引き出す教材は?」のように、目の前に存在している生徒(子ども)の状態だけを見て、レッスンの方向性が決まってしまっているような危機感を覚える。それも必要だろうと思う。ピアノなんか大嫌いと辞めてしまっては、そこで終わってしまう可能性だってあるから。

でも、目の前の子どもには将来があるのだ。レッスンは辞めてしまっても、将来再びピアノの魅力、音楽の魅力に開眼する可能性だってあるのだ。と言うより、多くの場合は開眼する。

それは「先生・・・学校が忙しいのでピアノ辞めます」と生徒が言った10年後かもしれないし、20年後、30年後かもしれない。その時に子ども時代に習っていた内容、身につけたものが多いに重要になってくる。どんなにブランクがあったとしても・・・

街のピアノ教師で最も重い部分はここだろうと僕は思う。その生徒の将来をも担っているということ・・・

「え~!B雄くんの30年後のことなんか責任持てないわ~」

「A子ちゃんの30年後、そんなの分からないわ~」

実際にはA子ちゃんが30年後にピアノを再開して、子ども時代の先生を恨んだとしても、別に訴えてくるわけではないだろうが、ブランクが何年だろうと、再び歩んでいける、ピアノ道を歩んでいける力を身につけさせておく責任が街のピアノ教師にはあるのだと思う。その部分は音大の先生よりも「専門家」である必要がある・・・

「ああ・・・」と生徒が音楽に焦がれ、「弾いてみたい、私も弾いてみたい・・・」と感じる心を育て、実際にそのような方向に持っていく・・・

単に、その曲が格好いいから弾きたいとか、素敵だから弾いてみたいということではなく、何故にその曲が自分の心を捉えるのかという部分、その何かを追っていく楽しさを子どもの時の修行時代に身につけさせる・・・

「先生・・・この曲・・・弾いていて泣きそうになっちゃう・・・なんで?」

「わからないわ・・・でも先生もそうだから、だからピアノを弾かずにはいられないの。ピアノってそういうものなのよ」

「そうね・・・」

この部分まで子ども時代に収めておけば、ブランクはこわくない・・・

本当のピアノの楽しさって、そういうことなのではないだろうか?追っていく楽しさ・・・

「楽しい、笑顔のレッスン」・・・ではなく・・・

kaz



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