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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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SF物語  「カールの君臨」 

 

3018年、日本のピアニズムは世界からの羨望の的となっていた。100年ほど前までは、メカニカルには高度なものを持っているが、音楽的表現に関しては平坦な印象を与えるなどと日本のピアニズムは世界から評価されていたのだ。それがどうだろう、今ではメカニカルな面だけではなく、圧倒的な表現力をも日本のピアニストたちは備えているのだ。かつてのピアノ王国はロシアだったが、今では日本ということは世界の常識にさえなった。

当たり前のことだが、メジャーな国際ピアノコンクールでも優勝者は日本人ばかりという現象が起こり、国際問題にさえなった。日本人コンテスタントだけは、国内予選を勝ち抜いた僅かの人しか出場できないようになった。それでもメダルを独占してしまう。

日本の音大には世界各国から留学生がやってくるようになった。中国、韓国の学生たち、かつてはアメリカに留学していたものだが、今は日本。あれほど沢山いた日本人留学生は、海外の音楽院からいなくなってしまった。日本国内ですべて学べてしまうのだから。

日本のピアノ教育にも世界は注目した。「どのような教育が行われているのだろう?」欧米から視察に訪れるのも珍しくはなくなった。

「鎖国をしていた国だ。門外不出の秘密の教材があるのでは???」

日本を変えた教材は存在した。それはチェルニー。100年以上昔から、チェルニーは日本でも盛んに使用されていた。でも目的が違っていたのだ。指を強くする、速く動かせるようにする・・・

2050年頃から流れが変わり始めた。「どうして音並べになってしまうのだろう?」という疑問が起こり始めたのだ。いわゆる「日本人の演奏はタイプライターではない運動」だ。「もう無味乾燥とは言わせない運動」とも呼ばれる。

音符ではなく、楽譜を読み取っていくことの重要性が叫ばれるようになった。どんなにシンプルな楽譜でも、曲として体裁を成しているのであれば、起承転結がある。モチーフがあり、フレーズがある。それを導入段階から指導に取り入れる運動が起こった。「弾けるようになったら表現を考えましょう運動」や、「専門に進むわけではないんだから趣味だったら楽しく運動」は下火になっていった。どの教室でも音符ではなく楽譜を読んでいくことの重要性が説かれ、その読み取った音楽の流れを、具体的に音にしていく「弾き方」の重要性も説かれるようになった。

その際、チェルニーは重宝されたのだ。進度的に、どの段階の生徒にもチェルニーは曲を書いている。比較的単純で分かりやすい音楽だ。音並べでしか譜読みのできなかった生徒が「音楽」を読み始めるようになったのは、チェルニーの音楽がシンプルだったからだ。

「チェルニーを曲としてまとめましょう。どう読んでいく?ではどう具体的に弾く?」このように進んでいった。

初めは小さな変化だったのだ。昔だったらフォルテと書いてあれば、「強く」と運動指示的にただ読んでいた生徒が、「ここは盛り上がって聴こえるように弾くわけね。先生、具体的にどうするんですか?」のように変わっていったのだ。

たしかにチェルニーの音楽は、聴いていて感動を誘う種類の音楽ではなかったが、そのシンプルな音楽が故に、多くの日本人が「読み方」「具体的な弾き方」というものに開眼できたのだ。導入期に「読み方と弾き方」を意識しなければ、音並べになってしまうということをピアノ教育界は認識したのだ。

日本のピアノ教育は、チェルニー、さらにバイエルを再認識した。「この段階で読み方と弾き方を教えないと、将来ショパンを弾いてもラヴェルを弾いても音並べになる」と。

日本はピアノ王国となった。秘密の教材、魔法の教材が新しく出現したわけではなかった。日本ピアノ創成期の頃から存在していた教材を使用していただけだ。ただ使用目的が変わった。それが日本をピアノ王国にした。

(現在のところ、これはフィクションです)

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