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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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残酷な憧れ 

 

考えてみれば不思議だったのだ。母は何故ファリャの「火祭りの踊り」という曲を知っていたのだろう?何故ルービンシュタインというピアニストを知っていたのだろう?何故チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が好きだったのだろう?

母の幼少時代は戦時中だった。娘時代は戦後の混乱期だった。祖父母が特に西洋音楽を愛好していたという話は聞いていないし、母の姉妹のだれかがピアノを習っていたということも聞いていない。

それは盛大な花火のようだった。東京の空が真っ赤に染まっているのを母は疎開先で見た。「お父さんもお母さんも、おそらくダメだよ。これからは自分で生きていくんだよ」叔母の言葉が耳に突き刺さる。幸い祖父母は健在で、家も焼けずに残った。姉妹も多く、家族で混乱期を助け合って生きていたのだろう。特別裕福でもなかったと思うが、特別貧しかったわけでもない。でも家族で西洋のクラシック音楽を親しむという習慣はなかった。それは当時の日本の家庭では、どこもそうだっただろうと思う。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は有名な曲だ。クラシック音楽に親しんでいなくても、知っていて当然の曲だったのだろうか?「火祭りの踊り」や「英雄ポロネーズ」は?たしかに有名な曲だが・・・

アメリカ映画「カーネギーホール」は1952年、日本でも封切られた。本国よりも5年遅れの公開だが、当時の日本では、世界のスター、巨匠の演奏を聴ける映画としてヒットしたらしい。檜舞台、カーネギーホールで演奏するスターたち。アルトゥール・ルービンシュタイン、リリー・ポンス、ヤッシャ・ハイフェッツたちが銀幕で演奏を披露した。昭和27年、おそらくクラシックの演奏会そのものも、一般の人々には遠かった時代のかもしれない。それが、いきなりハイフェッツ・・・

むろん映画ではある。生演奏ではない。でも当時の日本人を震撼、そして感動させたことは想像できる。クラシックファンでなくても、日頃そのようなものとは無縁でも、映画なので多くの人が「カーネギーホール」を観たのだろう。

母は映画「カーネギーホール」を観たのではないだろうか?なのでルービンシュタイン、ハイフェッツ・・・

当時、この映画を観てクラシック音楽の素晴らしさに目覚めた人は多かったと思う。中には「自分でもこの世界に入っていきたい」「楽器が演奏できだら・・・」「ピアノがあったら・・・」そう感じた人もいただろう。

現在のように、ピアノなど習い事として一般的ではなかった。それこそ「お大臣の家」でなければピアノを弾くなど、ありえなかった、すくなくとも一般の感覚ではそうだったのではないかと想像する。習いたいのに、弾きたいのに諦めるという感覚すらなかったのかもしれない。

クラシック音楽なんて特別な人たちのもの・・・ましてや自分も楽器を弾くなんて・・・

爆発しそうなほどの憧れを、当時の人はどのようにして処理していたのだろう?これは僕の想像の範囲を超えてしまう。

レッスンに通う、練習をする、サークルで演奏する、どこか当たり前に思ってしまう。でも当たり前ではなかった時代もあったのだ。

昭和27年、考えようによっては、この演奏は残酷なものだったのかもしれない。同時に、今という時間を生きているという恍惚感をも感じる。

kaz




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