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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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ベルカント奏法 

 

歌であれば必ずブレスがある。弦楽器にもある。アップ・ボウ、ダウン・ボウ、どちらかだけで弾き続けることはできない。ピアノって歌や弦楽器と比較すると、音の出る仕組み、あるいは、その体感というものが非常に間接的な楽器なのかもしれない。押せば鳴るし・・・

このようなピアノ性質(?)から、大雑把に楽譜を(音符を)読んで、大雑把にタッチしても、一応の曲(というか音)は出てくる。でも「なんだかな・・・」とは思う。ここで悩んでいる人は相当多そうだ。押せば鳴ってしまうゆえの難しさでしょうか?

ピアノ弾きは、沢山の音を読むので、「音読み」には慣れているけれど、「楽譜読み」には慣れていないという傾向があるのかもしれない。偉大な歌手を聴いてみる。しかも楽譜と一緒に。例えばマリア・カラスのような歌手。カラスの声って美声ではないなどと言われる。個人的には好きな声だが、でも馴染めない人の気持ちも分かる。フレーニやテバルディのような「誰が聴いても美しい」という声とは違うから。ショパンを弾くのでベッリーニを聴いている。

「ああ、なんということだろう・・・ここまで楽譜を読み込む人が過去に存在していたなんて・・・」

長い音符、音の高低、休符の意味、なぜにそこは等分ではなく3連符なのか、すべてが読み取られている。僕の譜読みなどザルのようなものだ。

ザルのようでも、聴き込んでいくうちに、音だけを読んでいけばいいのではなく、そこに「音楽語」のようなものが潜んでいるのが、おぼろげながら感じられるようになってくる。

その先の課題として、ピアノの場合であれば、鍵盤上でどうするかという課題が出てくる。楽譜読みの法則と奏法というものは、おそらく切り離せない。楽譜を逸脱しない、これは無味乾燥、なんだかお手本みたいということには基本的にはつながらない。音楽的に聴こえないのは、楽譜を読んでいないから。楽譜なしに自分の感情とか、そのような問題でもないように感じてくる。

マリア・カラスのベッリーニ、ベルカントだよなぁ・・・と思う。ピアノだと、鍵盤を指で舐めているような?バタバタせずに・・・

ベルカント弾きの場合、ビーム光線を指先から発しているような感じで鍵盤を押す。タッチポイントを狙うのだが、鍵盤の底までは到達すると思う。結果的には。片手の指先で大きめのビーチボールを拾う感じ?あるいは平均台や綱渡りのイメージ。足底に力が集まるというか、意識が集中される。幼児が嬉しそうに飛び跳ねながら歩くというイメージとは正反対のイメージ。幼児歩き弾きだとバタバタしてしまう。平均台から落下しちゃうよね。腕弾きだと、どうもこの「幼児歩き」のバタバタ感が出てしまうように思う。打鍵は上の方からノンコントロールになりやすいように思う。リンゴが枝から落ちる的な重力奏法?意思のない重力奏法の一つにハイフィンガー奏法も含まれるのではないか?上から下に意思のない重力でバシンと弾くことになるから。これではどんなに心を込めても、感情を込めても同じ音の連続になってしまう気がする。

それにしても、具体的な弾き方のようなものを文章にするというのは難しい。僕の説明では人に伝わっているとも思えないな。

kaz




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コメント

 

kazさんはザルではないと思いますよ(笑)、でも、そういう方向よりも、極めて敏感な耳と感受性で小さい頃から沢山聴くことで、表現のコツを感じ取られたのが大きいのではないかなと思います。平たく言うと、所謂才能というものなのかなと。。

kazさんの演奏をチャリコンで聴いたことのある門下生(音大卒)が言っていました。
「kazさんは天才だから、自分を基準に考えちゃいけないと思う。普通の人は、オペラや歌を聴いただけじゃわからなくて、こうやってレッスンで、手取り足取り、楽譜の表現や、その表現を弾く方法を教えてもらって、やっとできるんですから。。」
・・・だそうです。苦情ではないですが、、ちょっぴり反論?(笑)


日本全体とは決して言いませんが、音楽表現を教えてもらえずに、音大を出てしまうケースも結構あって、仕方なくCDのモノマネをするケースもけっこうあります。音楽表現のレッスンは、音符の読み方と一緒に、入門段階から始めなくてはと思います。。

もちろん、外国の先生なら誰でも表現について分かるように教えてくれるというわけでもないので、そこのところは誤解を招かないように、しっかり書き添えます。。

30代から40代にかけて10年以上、楽譜の分析を根拠にした表現のレッスンを受け、楽譜の見え方が変わりました。それは、ヨーロッパの先生方のレッスンの理解を深めてくれるものでもありました。でも、分かり易く伝えるのは工夫が必要ですし、それを受け止めてもらうのも、時には難しい場合もあります。


学んだ表現をピアノに伝える奏法も、今は言葉が様々に違う意味に使われていたりして、非常に怖いです。なので、私は◎◎奏法を教えている、とは決して言いません。
楽で、音も良くなり、表現もしやすくなる奏法、と言っています。

話があちこちし過ぎたので少々削除したり整理しました。伝わりやすくなったでしょうか?

「kazさんは天才」と思われていますよ、とお伝えしたかっただけなのですが、長くなってすみません。。

リサイタル、ご成功をお祈りしています。(^_^)

Megumi #3/2tU3w2 | URL | 2018/06/11 15:39 | edit

Megumiさま

長いコメントありがとうございました。すべてをコメント欄には返信できませんので、これからのブログの中で触れられるようにしていきたいと思います。

僕は天才ではないですが、おそらく人と異なっているのは、普通の(?)ピアノ道を歩んでこなかったということ。そのうえで、天上の音楽を8歳の頃から楽譜を見ながら聴いてきたということかもしれません。

その演奏が、そのように聴こえてくる「要素」「理由」のようなものを聴きながら探していたのかもしれません。現在でもピアノを弾く時、「この曲を上手に完成度高く演奏したい」という欲求はゼロに近いです。それよりは、マリア・カラスがあの箇所でやっていた、あの効果をピアノで再現するには・・・みたいなことを意識しているような気がします。

そもそも、あまりピアノそのものを聴かない。参考のためにとか、そのような意味でも。歌ばかり聴いてきたということになるのでしょう感じます。。声楽→弦楽器→ピアノ・・・みたいな感じ?

クライスラーにしてもカラスにしても、往年のピアニストたちにしても、共通しているのは「強調が上手」ということ。それを感じます。ポップス歌手ですが、バーブラ・ストライサンドの歌唱からもそれを感じます。

8歳の頃から空想で、ピアノを再開してからは空想と手で、偉大な音楽家たちの強調を追い求めているような気がします。

子どもの頃、楽譜(音符)も読めないのに、バイエルも弾けないのに、なんちゃって弾き、つまり遊び弾きで「英雄ポロネーズ」をルービンシュタイン風とかホロヴィッツ風とか、勝手に弾いていたことは、もしかしたらよかったのかもしれません、

視覚的に音符を並べる→練習する→表現とやらを考える・・・という普通(?)の道を辿ってこなかった。爆発しそうなほどの憧れ、表現欲を満たすために楽譜を読む・・・僕のやり方は反対ですかね???

kaz #- | URL | 2018/06/11 17:51 | edit

いえいえ、、

いえいえ、とんでもないです。kazさんをやっつけに来たわけではないです。

「kazさんは天才」と、専門教育を受けたはずの門下生が、上に見ている、、というのが第1テーマです。で、ピアノ教室でも音大でも、感動的な音楽表現をする方法を教えてもらえなかったりする、というのが第2テーマです。

表現を教えてもらえなかったから、CDのコピーをするしかなかった等のエピソードは、第2テーマの展開部のはずでしたが、実例が詳し過ぎて、重く表現され過ぎて、肝心のテーマが分らなくなってしまった、という感じです。
要するに私の文章の構成感のなさが原因で、テーマが伝わらなかったという例です。(笑)すみません。重すぎる展開部は削除しますね。

で、8歳から凄い曲の楽譜を目にされていたのだから、凄い事ですよ。私は8歳ではピアノを始めていませんし、10代は病気ばかりしていたのであまり弾いていません。そのかわり、何か月も学校を休んでいた間、毎日レコードが擦り切れるほど繰り返し聴いていました。ゲルバーやアルゲリッチやホロヴィッツ、ベルマン、等々中心に。

40分以上のコンチェルトなどを1日に何度も繰り返し、楽譜は見ないで。なので、むしろ、出発は私の方が耳からだと思います。30歳過ぎてから、楽譜上でそれを教えて頂いたら、安定して表現できるようになったけれど、若い頃は乗れたり乗れなかったり、不安定だったと思います。

中から出てくるものだけで人を感動させる説得力ある表現ができるkazさんは、それでいいわけです。
でもできない人は、学ぶことで、かなり近い事ができるようになります。かなり、感動的になります。泣かせるまで行くかどうかはケースバイケースですが。。

kazさんは前者ですけど、歌をきくだけではできない人の方が多いです。それを、教えるのがピアノ教室や音楽大学であってほしいなと思います。

ホロヴィッツが同様のアドヴァイスをしています。ピアノは音が伸びないから、歌や弦など音を伸ばすものを聴けと。天才は言うことが似てます。
kazさんが楽譜を破った虐待先生ではなく、才能を伸ばしてくれる先生に習っていたら、今頃世界を飛び回っていますね。。

私も似たようなことを言われたことあるのですが、「たられば」を言っても仕方がないと思いつつ、そういう風に言いたくなる気持ちは理解はできます。私は、来世、小さい頃から教育が受けられる環境に生まれたいです。

また余計な話をして長くなりました。文章表現は勉強不足です。。

Megumi #3/2tU3w2 | URL | 2018/06/11 20:51 | edit

Megumiさま

音楽的に演奏する方法を教えられる人が少ない、時代は変わってもそれは変わらない。ここが問題なのかもしれませんね。

時々クラシックの世界(演奏の世界ですが)は他のジャンルの音楽の世界と比較して甘いのかなとも感じたりします。あまり聴き手のことを考えなくてもいいような?どう弾けるか、どこまで弾けるかだけを考えていれば立派であるかのような?

曲という形態になったものを弾く時、それは導入段階からになると思うのですが、その段階から「楽譜を汲み取っていく」「それを音として再現するための具体的な方法」というものをリンクさせて教えていけるような教師が少しでも増えるといいのでしょう。

でもそうなると、「全員が専門に進むわけでもない」とか言う人も現れそうですね。

なにかおかしい・・・

音並べになってしまう、それは自分に才能がないから、基礎がないからと思いこんでいる(アマチュアの)人は実に多い印象を持ちます。本当は弾き方、読み方を教えてもらっていないだけかもしれないのに・・・

kaz #- | URL | 2018/06/11 21:53 | edit

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