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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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音大ランク分け 

 

音大のランクというものはあるのだろうか?堂々と「一流の音大出身の先生に習うべきです」などといった文章を読んだりすると、ランク分けはあるのかな・・・などと思ったりもする。「地方の音楽短大?レベル低いでしょ?」みたいな?

「あら、そのパンツ素敵ね。どこの?ジバンシーの今年の秋物みたいだけど、ちょっと違うわね。パリで見つけたの?」「実は、これイトーヨーカ堂で1,800円だったの。見て、ウエストなんてゴムなのよ~」「わ~っ、そうは見えないね。楽そう・・・」楽そうと言いながら、ブランド志向の人は悔しいかもしれない。「イトーヨーカドーに負けるなんて!」

音大にもブランド志向はあるのだろうか?ブランド志向というよりは、ブランド依存のようなもの?おそらく難関音大に合格するには、多くの努力と犠牲があったのだと想像する。レッスンも子どもの頃から「Jポップとかアニソンとかを楽しく弾いていきましょうね♡」というレッスンではなかったと思うし、厳しい修行に耐えたという意識も芽生えてくるのかもしれない。「そんな私が○○短大の人よりも生徒が少ない?あの苦労はなんだったの?ふん、○○音大でリサイタル?たいしたことないくせに」みたいな?ある種の特権意識?

この特権意識の根底には、ピアノの場合、「厳しい修行」「絶え間ない基礎訓練」のような苦しい過去を否定したくない、されたくないという強い思いがどこかにあるのではないだろうか?友達と遊んだりすることも諦めて、ハノン、チェルニーを、それこそ泣きながら練習してきたのだ。お遊びでやってきた連中と一緒にしないで欲しい。ましてや、そのような輩より劣っているなんてあり得ない・・・そう思う方があり得ないのかもしれないのに。

この「基礎」という概念、指訓練をワシワシという意味に捉えてしまうと、その根性練習が、「いつかはピアニスト」というものに直結すると信じてしまうのかもしれない。この「基礎」という言葉は非常に影響力がある。アマチュア、特に再開組のブログでよく見かける「私って基礎がないから」「基礎があれば、また違うのかもしれないけど」などの言葉は、「基礎」という言葉の影響力を感じさせる。

ピアノの場合、基礎には二つあるように思う。一つ目は弾きこなす能力。皆が基礎と言っているのは、この部分なのではないかと思う。でも基礎にはもう一つあるような気がする。それは音楽総合能力のようなものの基礎。この能力は、どこか「教えてもらう」的なニュアンスから離れてしまうのかもしれない。でも実際には弾きこなすという能力とリンクしていて、その人の演奏を決定づけているような?「達者に弾きこなしてはいる。でも・・・」この場合、音楽総合能力に欠けているのかもしれない。

リヒテルは、ピアノの手ほどきを父親から受けた。父親はウィーンの音楽院を卒業したピアニストだったのだ。でも幼きリヒテルは、いわゆる基礎練習を否定してしまう。音階練習とかね。「僕はチェルニーを弾いたことがないんだ」

リヒテルが最初に弾いた曲、バイエルとかそのような曲ではなく、ショパンのノクターン、そしてベートーヴェンの「テンペスト」だったそうだ。あとは、オペラのアリアなどを弾きまくっていたらしい。「えっ?いきなりテンペスト?いきなりショパン?」アルゲリッチにも似たような話がある。ある日本人ピアニストとの対談でこう言っていた記憶がある。「3歳でショパンのワルツを弾いていました」「えっ?3歳でショパンのワルツを?」「ええ・・・」

リヒテルもアルゲリッチも早熟というか、神童ではあったのだろう。この神童の要素は、音楽総合能力ではなかったか?なんとなくそう思う。むろん、リヒテルにしてもアルゲリッチにしても、いわゆる「練習」「訓練」というものは積み重ねてきたはずだ。でもそれが「弾きこなし基礎」と「音楽総合基礎」と見事なまでに結合しているのではないか?

音楽総合能力が生まれながらに身についている人、あるいは後から身につけた場合でも、おそらく譜読み→練習→人前での演奏という道を辿る時、最初から理想の音楽、サウンドがあるのではないか?これは一応弾けてから表現を考えるという、よくあるパターンとは正反対のような気がする。

練習の目的も異なってくるような?「こう弾きたいから練習する」のように。プログラム化された練習を淡々とこなしていくというのが練習ではなくなる。「このような音楽をしたいから練習している・・・」

リヒテルは18歳まで、音楽総合能力を自己流で伸ばしてきたのだ。彼の脳内サウンドがそれを導いたのかもしれない。彼はオデッサの歌劇場でコレペティトールになる。ピアニストというよりは、どこか指揮者のような感覚も備わっていたはずだ。

音楽総合能力、これってよくある「ここの教室ではソルフェージュにも力をいれてレッスンしています」ということと同じなのだろうか?あるいは音大の入試にある「聴音」とか「初見」のようなものと同じなのだろうか?聴音で満点だったとしてもリヒテルのように弾けるとは思えないのだが・・・

このソナタ、やさしい部類に入るのだろうね。小学生でも弾いてしまう。ソナチネを弾いたら、これ・・・という人も多かったのでは?でもどう弾いていただろう?リヒテルの演奏、オペラみたいだなと感じる。コレペティ経験が演奏に反映しているのかもしれないが、これは音楽総合能力に関係あるように感じる。随所に「魔笛」のキャラクターが登場してくるような演奏だ。

この曲を弾く段階になったら、「弾きこなし基礎」だけではなく「音楽総合能力」も必要になってくるのではないだろうか?音楽総合能力の必要性が浸透していけば、音大のランク分けなども必要なくなってくるかもしれない。

kaz




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