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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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創造脳と再現脳 

 

クラシックの苦手な人、堅苦しいとか、つい敬遠してしまう人。そのような人も、ピアノのリサイタルを聴きに行ったりするらしい。自分も親しみたいと思うらしいのね。大概の感想は「堅苦しかった」「よく分らなかった」というもの。「難し気な顔をして、何やら難し気なものを弾いて、そして引っ込む。その繰り返し・・・何も感じない自分に責任があるのかな?でもクラシックって難しくて分からない」このような感想を、「フ・・・豚に真珠ね・・・」と片付けてしまっていいのだろうか?ふと疑問に思う。

クラシックの演奏会って対話、演奏者と客席とで対話がないような・・・そう思うことは僕でも多々ある。これは演奏そのものの質によるものかもしれない。どんなにミスなく弾けていても、聴き手に訴えるものが皆無であれば、その演奏は、その聴き手にとっては未熟なのかもしれない。少なくとも退屈ではある。これって聴き手の嗜好、趣味ということとも異なるように思う。

舞台に出てきてワーッと(?)弾いて終わってしまう。考えてみれば、ただ弾く・・・難し気な顔をして弾くだけ・・・これってクラシック特有のものではないだろうか?ジャズとかシャンソンの場合、それってあるのだろうか?さすがに「ノッてるかぁ?」「イェーイ!」ということは望まないにしても、もうちょっと親しみやすさとか、盛り込めないのだろうか?パフォーマーが一言も話さないというクラシックの常識は世の常識ではないのかもしれない。

あるピアニストが留学後、日本でデビューリサイタルをした。70年代のことだろうか?滞りなくプログラムを弾き終え、アンコールを弾いた。その時、そのピアニストはちょっとだけトークをしたのだそうだ。どこか緊張していた会場の雰囲気がフワッと和らいだように感じたらしい。でもそのトークは、重鎮たちから非難されるところとなった。「言葉なしで語るのが音楽、演奏です。演奏会でピアニストが喋るなんて・・・」と。う~ん、個人的には、この感覚、嫌だなと感じる。「堅苦しいんだよ」と。

演奏の合間にトークを加える、クラシック以外のライブではよくある光景だ。でもこれは非常に難しいことなのだ。使用する脳みその部位が、「演奏」と「話す」という行為では異なるのだろうか?非常に大変だ。ただ黙って弾く方が何倍も楽なように思う。でもジャズプレイヤーとか、客席から笑いを引き出すような余裕がありながら、パフォーマンスも・・・ということはある。というか、クラシック以外のジャンルではトークは普通なのではないだろうか?

クラシックの演奏家の場合、自分の行為は「再現」と感じるのではないか?「創造」という感覚は著しく他のジャンルのパフォーマーと比べると少なくなる。楽譜の再現という感覚?なので忘れたらどうしようとか、ミスしたらどうしようとか?あくまでも「再現」という気持ちがあるから。

来月、ピアノサークルの練習会があるとする。ある曲を演奏するので、毎日欠かさず練習している。そして本番。自分が弾く直前、考えることって何だろう?創造だろうか?あくまでも「どこまで再現できるか、練習の時のように再現できるか?」ではないだろうか?

クラシックの場合、常にこれがつきまとう。振り払いたいけれど、つきまとう。舞台で真っ白になったらどうしよう?誰でも思うことなのかもしれない。

クラシックの演奏の場合でも、聴き手としての自分は、他人の演奏に対して、ある意味寛容なところはないだろうか?人の演奏、ミスを数えながら聴いています?そうは聴いていないはずだ。もっと全体の印象とかだと思う。でも自分が演奏する場合は、どうしても気になる。ちょっと音を外しただけでこの世の終わりのような?

少しだけ「創造脳」になってみる、その努力をしてみるのはいいかもしれない。ピアノ学習者の場合、幼いころから「再現脳」を強要されている人がほとんどだから、いきなりは難しいかもしれないけれど、でも悔しいではありませんか。聴いている側が気にしないようなことで苦しめられるなんて・・・

この動画、1994年とあるけれど、僕の記憶では1993年ではないかと。グルダって配偶者が日本人であった割には、あまり来日してくれなかった。たしか生涯に3回?絶大なる欧州での人気ぶり、評価を考えると不思議ではある。日本人はグルダをクラシックのピアニストと捉えた時、戸惑いのようなものも感じてしまったのだろうか?

グルダ、最後の東京でのリサイタルで感じたこと。トークを加えている。たいしたことは話していないのだ。「最初は平均律クラヴィーア曲集を演奏しましょうかね」とか「ファンタジーのお次はヴェネツィアの舟歌でも」と言ってショパンの「舟歌」を弾いたりとか。でもこれは「再現脳」には非常に難しいことなのだ。

グルダはクラシック演奏家としては異端児とされていたように思う。でも異端児としていた側が世界基準からすると、異端児だったのかもしれないね。

このような雰囲気のクラシックのリサイタルが増えるといいね。クラシック嫌いの人も減少するのではないかな?

「さあ、次は何を聴きたい?」会場から「アリア」の声が。「俺のアリアでいいかい?」そして自作の「アリア」を弾く。創造脳の人だったように思う。

kaz




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コメント

 

しゃべる、弾く

ピアノの練習会とかだと、プログラムはわざわざ印刷配布してないので各自、口で曲目を言ってから弾いてくださいなんてときも多いけど、たったそれだけでも口を動かしただけで弾き始めとちるとちる…(o_o;;

脳みそがうまくモードチェンジしないみたいで(単に弾くほうの余裕がなさすぎるとも言う)

演奏がうまくできる人でも、しゃべって弾くのがうまくできる人とできない人がいるだろうと思います。脳みその違いもあり慣れもあるのかなぁ…

artomr先生にレクチャーコンサートしてもらうとしゃべって弾いて自在につないでますし、ショパンバラード四番をよどみなく弾きながら、同時進行でモチーフの展開について口でも滑らかに語るという特技(?)まで持ってるようですが(^^;; これは彼がピアニストというより元々楽理出身で言葉のほうが本職だから??

おゆき先生がレクチャーコンサートをするときはあまりしゃべりたくないそうで、しゃべる係を別に立てています。

ま、どちらでもいいんだけど私が行くコンサートは「語り」つきのものが多いです。小規模なやつが多いからというのもあるけど、そういうのが好きで選んでいるというのもあります。のだめが流行ったときに茂木さんがせっせと解説つきコンサートやってクラシック布教に努めてましたね。あれのバッハカンタータのときとかおもしろかった。

アンダンテ #WDOkdukc | URL | 2018/05/29 15:49 | edit

アンダンテさま

脳がチェンジしないということはあると思います。演奏しながら次に話す内容とか、固有名詞が頭の中に浮かんできてしまったりも。いちいちモードを戻す作業が非常に疲れる・・・

クラシックって堅苦しい、これって作品よりは演奏による印象なのかもしれません。そして演奏そのものに加えて、「ただ出てきて何やら弾いて、難しい顔で引っ込む、その繰り返し・・・」という一般的なクラシックの演奏会の形態も理由ではないかと。ややもすると、演奏者の私的なガンバリズムにつきあっている・・・みたいな?

グルダのトーク、闊達とか流麗というわけでもないのでしょうが、自然だなと感じます。むろんグルダのトークはレクチャーではないのですが、彼が話すことによって、聴き手は何かを拝聴するというのでなく、一緒に音楽に参加しているというような、そんな雰囲気が満ち溢れているような気がします。

でも演奏とトーク、一緒だと大変です。

kaz #- | URL | 2018/05/29 20:10 | edit

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