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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

森昌子とピアノレッスン 

 

僕の世代の人だったら、この動画は懐かしいのではないだろうか?森昌子はものまねが上手かった。この時、まだ15歳だったんですね。改めて聴いてみると、流石に上手いと思う。そこは印象として変わらない。似ていると思う。でも声そのものは、どの歌手のものまねでも、森昌子の声で歌っているのを発見した。考えてみれば当たり前だが。

声を変えてしまうのではなく、真似をする歌手の特徴、その歌手の個性を際立たせているような要素を掴むのが非常に上手いのだと思う。

際立っている要素、聴いていて「ああ、素敵だな」「素晴らしいな」と感じさせる要素を掴む、これってピアノの場合でも同じではないか?ホロヴィッツの演奏を聴いて「凄いわ。私も真似してみよう」というのとは違う。素敵と感じさせた要素を探ってみるというか?むろん、ホロヴィッツの演奏を真似できるということであれば、それはそれで凄いけれど。

つまり、表面的なものを真似するのではなく、個性、美として成り立っているようなものを探していく・・・

これには「自分で考える」「自分で感じる」という要素が必要なのかもしれない。もしかしたら、、ピアノ道において幼い頃からそのような要素が欠けていたのかもしれない。「どうして素敵に聴こえるのだろう?」と試行錯誤してみるという要素。際立っていると聴いて判断できるのだから、そこで「ではどうしているのだろう?」と考えてみる。

たしかに、視覚的に音を読んで一応音は並べられるようになった、そこで「ハイ、次の曲」ということをピアノ道で続けてきたのだったら、いきなり「考えろ」と言われても困るだろうと思う。そのような習慣そのものがないわけだから。世の中のピアノ教師には、意外と「自分で考えて」と言う人が多いらしい。非常に楽観的に考えると、自分で探ってみるという自発的行為を促しているとも考えられる。でも、僕としては、これは責任放棄と感じる。

要素を掴む、生徒全員が森昌子のような感性、才能、特技があるわけではない。普通、感じることはできても実践力に欠けることが普通だ。多くのピアノ学習者(生徒)はここで悩んでいるはずだ。

「人の演奏を聴いて、いいなと感じることはできる。自分のピアノとの違いも感じることができる。私もあのように弾けるようになりたい。どうしたらいいのだろう?」こう悩んでいる人は多いと僕は思う。この想いに対して「自分で考えて」という返しは無責任であると思う。

ピアノ演奏には基本的なノウハウが存在していると僕は思う。感性とか、才能とか曖昧なものに世の中依存し過ぎている。音楽的に弾くためのノウハウを生徒は求めている。教師に求めている・・・

「そうね、変に聴こえるわ。こうしているからじゃない?そこは、むしろこうしてみたら?」「あっ・・・本当ですね」世のピアノレッスンで最も欠けているものではないだろうか?探す、実践してみるのは生徒の役目かもしれないが、ある方向とかノウハウを伝授するのは、教師の役目なのではないかと。悩んでいる生徒が多い、つまり具体的なノウハウを伝えられる教師が、あまりにも少ないからではないだろうか?

生徒って、ノウハウ、つまり、まずく聴こえてしまう理由、そしてその解決方法を伝えてもらっていないと、もうひたすら練習するしか道はない。「練習時間が足りないのね」「反復練習が足りないのね」「努力が足りないのね。弾けてもいないのに音楽的になんて・・・」そして「才能がないんだわ」となっていく。考えてみると、これはかなり残酷なことではないだろうか?

全員が森昌子ではないのだ。ある要素は伝えてもらいたい。伝えるには、教師自身がノウハウを日々求めている必要はないだろうか?教師自らが「素晴らしい」と感じる要素を求める必要性。簡単に言ってしまえば、教師も弾いているということ。教師自身も「愛する人」であり、美の要素を探している。生徒と同じように・・・

これは、かなりシニカルなものの見方だと自分でも思うが、ピアノ教師ブログを徘徊して感じることがある。話題が、どのブログも似ている。セミナー、レッスングッズ、教材、〇子ちゃんがコンクールに受かりました等々。自分のピアノ、自分のピアノで苦しんでいる、自分の美を探している、このようなことを綴っているピアノ教師ブログって恐ろしく少ない印象だ。

子どもの数は減少していく。これからは、さらに加速していくだろう。ならばシルバー世代を狙え、昭和ピアノ挫折組、再開組を開拓していこう、この視点は正しい。でも彼ら(僕ら?)はノウハウも欲しい。「こうしてみたら?」「この場合はこのようにしてみたら?」的なこと。レッスンでは「あっ、本当ですね」という感覚を求める。それが欲しい。実感させて欲しい。

別にリサイタルを頻繁に開催しろとか、そのようなことを綴れとか、そういうことではない。教師自身も探している、美を求めて弾き続けている。そのようなことをブログで綴ってみると、おそらく体験レッスンなどの問い合わせも増えるのではないだろうか?

kaz




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コメント

 

お久しぶりです。前回は大変失礼致しました。

私のコメントが今回の記事の内容に合致しているかどうかは分かりませんが、ドラムの世界ではこのような事が行われています。

ご参考になりましたら幸いです。

レッスン風景♪ 小野瀬’s レッスン2 アートタッチテクニック編 〜合理的じゃない叩き方のススメ〜 K’s MUSIC ドラム人間科学

https://www.youtube.com/watch?v=NHo5b3RUmlo

それではごきげんよう。

あずにゃん #- | URL | 2018/05/28 14:53 | edit

あずにゃんさま

合理的、非合理的というものが、記事内容にどう結びつくのか、一度見ても分からなかったりしましたが、自分なりに追及するということもあり・・・ということでしょうか?

たしかに言われたことを守っているだけではと思います。一致点はそこでしょうか?

でもその前に「言ってもくれない」ということが多いようです。

「そこはもっと盛り上げて弾いて」盛り上げるには、具体的なノウハウがあるとしたら?

「もっと歌って~」歌っているように聴こえるには、それなりのノウハウ、技法、奏法があるとしたら?

かなり抽象的ピアノレッスンが世の中には多いのではないかと想像しています。でなければ、これほど多くのピアノ弾きが悩んだりしていないでしょう。

「ああ、才能がないんだわ。プロになるわkでもないんだし。でもそう割り切れない。上手くなりたい。

それには上手く聴こえるためのノウハウを習わないと。教えないと。

kaz #- | URL | 2018/05/29 19:52 | edit

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