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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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楽譜に忠実なオペラ? 

 

ロマンティックな、人によってはオールドファッション的なスタイルにさえ感じる演奏を僕が好むのは、もしかしたら僕がオペラ好きということも理由の一つなのかもしれない。人間の声って、ピアノのような楽器とは比較できないほど「個性」というものが存在していると思う。マリア・カラスの声、ドミンゴの声・・・のように。聴衆は作品の原点のようなものを求めるよりは、歌手独自のカリスマ的要素を求めるような、、そんな歴史があり、現在もその風潮が残っているのかもしれない。現代のスター歌手に魅せられ、驚嘆したとしても、やはりカラスの歌唱が忘れられない・・・のような風潮はピアノの世界よりも濃いように感じる。

オペラの世界にも原典崇拝主義のような、ザハリヒな流れは押し寄せたのかもしれない。楽譜は最新研究を反映させた○○エディションで・・・みたいな?作曲家オリジナルのもの、これがオペラの場合、ピアノよりも複雑なのかもしれない。ヴェルディの「椿姫」、ヴェルディのオリジナルでは、例えばアルフレードのアリアの後に、現在ではカットされるのが普通であるカバレッタがある。当時の初演歌手のリクエストによって、ヴェルディが渋々書き加えたような、どうでもいい音楽。一時の原典主義により、このどうでもいい、ズンチャカチャ的なカバレッタまで収録された録音なども出現した。でもそのような流れは続かなかったように感じる。

かつては「カラスの椿姫」のような言い方をした。でも現在は「クライバーの椿姫」のように、歌手よりも指揮者が先になる言い方をする時もある。原典主義がオペラ界にも浸透してきているのだろうか?そのような聴き方をオペラでもされてきているのだろうか?

オペラにも原典主義の指揮者がいたように思う。個人的にはあまり好きになれない指揮者だが、リチャード・ボニングとか。この人は、オペレッタのような作品にさえ、原典主義、オリジナル主義を持ち込もうとした。原典主義の「メリー・ウィドウ」なんて誰が聴きたいと思うのだろう?実際にレハールが書いたスコアに忠実なボニングの「メリー・ウィドウ」よりは、他人の作品(オッフェンバックのカンカン)を盛り込んだ胸キュンのウィーン・フォルクスオーパー版の「メリー・ウィドウ」の方が遥かに魅力的に感じる。

オペラファンは、ピアノファンよりも、かつての黄金時代を懐かしむ傾向があるように感じる。「やはりパヴァロッティでしょ」「いやいや、カルーソーの魅力にはかなわない」「カラスは偉大だ」「そうだけど、俺はカバリエのピアニシモに軍配だな」のような?そう、オペラファンは歌手に対して濃いのだ。

人々は歌劇場に夢を見に行く、これは現代にも息づいているのではないだろうか?音楽というものにひれ伏しに歌劇場に行くのではなく、夢を聴くのだ。その歌手ならではというカリスマ性が重要になってくる。

1985年、ピアノの世界だと、もうザハリヒな時代突入だったように思うし、コンクール全盛時代だったとも思う。スター歌手、マリリン・ホーンがロッシーニを歌っている。この会場にいた人々はロッシーニよりも、ホーンという歌手を聴きに来ているはずだ。彼女だけが可能な、あり得ないようなヴァリアンテに熱狂する・・・歌手に酔う・・・

歌劇場は夢を見に行く場所であり、研究成果を聴きに行く場所ではないのだ。考えてみると、コンクールと結びつく偉大な歌手っているだろうか?その人の経歴を追っていけば、コンクール歴というものもあるのかもしれないが、マリリン・ホーンを一挙に有名にした、スターにしたコンクールって?マリア・カラスをスターにしたコンクールって?

ヨゼフ・ホフマンを有名にしたコンクール?ホロヴィッツは?

1985年、ブーニンがショパンコンクールで優勝した年。同じ年、歌劇場ではマリリン・ホーンのあり得ないまでの妙技に酔っている人々がいた。夢を堪能していた人々がいた。

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