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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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幼稚園時代の耳コピ弾き 

 

僕は6年間かけてバイエルを終えることのできなかった人間だ。とにかく教材が進まなかった。最初は「色音符」という教材から入った。音の高さは色で判断していましたかね、完全に。音の長さは色では判断できないので、耳で覚えるまで弾けなかったと思う。

「これはいけない」と先生は感じたのか、それとも色だと読めると判断したのか、途中からバイエルになった。やはり全部黒い音符だと読めないんだよね。「トンプソン」という教材に一時変わったこともあったけれど、やはり黒い音符は読めない。バイエルだと興味を持てないという以前に読めない。トンプソンは、たしか赤い表紙で、挿絵が異国の雰囲気で、色鉛筆で塗り絵をしていた。完全に塗り絵ブックと化していた。

何故楽譜が読めなかったのか?それは耳から入ってしまったからだ。導入期に読譜をしっかりと教えるというのは、ピアノ指導では当たり前なのだろう。教師は模範演奏などしない。生徒が耳で覚えてしまうから。その意味で僕は完璧なる困ったちゃんではあったと思う。「少しは練習してね?」返事だけは良いが、実は何を練習していいのか分からなかったというのが正直なところだ。

ピアノ教室に通い始めたのは小学1年生の時。それ以前、幼稚園時代はピアノは習っていなかった。でもピアノを弾いていた記憶がある。自宅にはピアノなどなかったから、幼稚園の教室にあるアップライトのピアノとか、近所の家にあった足踏みオルガンとか・・・

何を弾いていたのだろう?鍵盤の位置関係とか音符とか、そのようなものは全く知らなかったのに。おそらく幼稚園で覚えた歌とか、あとは即興で自由に弾いていたのだと思う。

ハイケンスという人の「セレナーデ」はお遊戯の時間の音楽だったと記憶している。この曲が好きで、よく弾いたりしていた。記憶を探ってみると、変奏曲のように発展させて弾いていた記憶があり、またハ長調ではなく、様々な調で弾いていた。調という概念はなくても、同じ旋律も調が変わると、何色にも変化するような気がした。僕はその時代、変ニ長調が好きだったようだ。弾きやすい指配置ではあったと思う。短調だと嬰ハ短調が好きだった。この調も指配置(鍵盤配置?)は弾きやすいよね。調号は恐ろしいけれど。でも楽譜が読めないので、調号も何もなかった。弾きやすい調だったのだろう。転調なども適当にやっていたかな???

でもバイエルが弾けない、進まないんだよね・・・

これは僕の過去の最大の汚点だと思っていた。実は今もチェルニーなどの基礎をきちんとやった経験が皆無ということは、何かそのようなものをきっちりとやってきた人と比較して何かが自分は足りないのではという思いはある。でも最近はこうも考え始めている。

ピアノを再開して人前でもピアノを弾くこともあるようになった。僕の演奏を褒めてくれる人もいるのだが、なんとなく「指が達者に動きますね」とか「難曲を弾きこなしていますね」のようなことではなく、もうちょっと違う要素で褒められているようなのだ。「どうして内側から沸き起こってくるように弾けるの?」とか「どうしてそのように表現豊かに弾けるの?」とか・・・

これは僕が血の滲むような努力を重ねたからではなく、長時間毎日練習したからでもなく、幼稚園時代からの「なんちゃって弾き」「即興弾き」「耳コピ弾き」のようなものと、どうも関係しているように自分では感じている。むろん、今は楽譜は読めるので、普通の人(?)のように視覚的情報からの譜読みもするけれど、どう考えても耳からの情報もあるように思う。

多くの人は、楽譜を視覚的に見て、頭の中でサウンドが鳴らないようなのだ。これだと譜読みに時間がかからないだろうか?ミという音を見たら頭の中で音は鳴る。逆にミという音を聴いたら、楽譜のミが脳内にも浮かぶ。また、転調とか、移調して弾くことも得意ではないが、違和感みたいなものはない。視覚的には楽譜を見たことはなくても、なんとなくザックリとだったら、「なんちゃって~」と曲を弾くことは可能だ。正確には弾けていないとは断言するけれど。ショパンのバラードとかスケルツォとか、昔は「なんちゃって~」と耳だけで弾いて遊んでいたものだ。多くの人はこれができないようなのだ、一つ一つ視覚的に読んでいかないと、曲が作れないようなのだ。

それが事実だとすると、100パーセントではないのかもしれないが、主に視覚的情報だけで曲を弾き、曲の難易度も上がっていくという方式は、もしかしたら日本のピアノ教育の弱点なのかもしれない。

即興演奏で遊んだり、そこには転調を自由自在に行ったりとか、何調でも関係なく簡単な曲だったら弾けたりとか、これは専門的にはソルフェージュ能力と呼ばれるものなのかもしれないが、もし僕の幼稚園時代の「耳コピ遊びなんちゃって弾き」がソルフェージュ能力とされるのであったなら、僕の過去は全部が汚点でもないのかもしれない。

でも耳から入りましょうと言っているわけではありません・・・ちなみにハイケンスの「セレナーデ」ってこんな曲です。

kaz




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