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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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場面ごとのHow・・・ 

 

音大で、どのような楽器を専攻しようと、声楽を専攻しようと、ピアノという楽器とは無縁ではいられない。「私はクラリネットを吹きたいのであって、ピアノが弾ける必要はない」と思ってもピアノは習う必要がある。試験もあったりするし。

「ピアノって楽器の王様なのね・・・」そのようなことよりも、こうも考えられるのではないだろうか、例えば英語は義務教育でも学ぶし、国際語の感さえある。これは英語が言語の王様だからなのではなく、英語がもっとも簡単な言語であるからという考え。これと同じで、ピアノという楽器は、ある意味で最も簡単、或いは学びやすい楽器なのではないかと・・・

「音作りがいらない」「押せば一応正確な音は出る」ここがピアノの長所であり、また難しいところになるのかもしれない。ドという音を出すだけでも、ヴァイオリンだったら、その段階で「音の出し方、弾き方」という領域とは無縁ではいられない。声楽も同じ。ドレミレドというシンプルなシェイプであっても、ピアノ以外の楽器は「どうやったら・・・」みたいな領域に最初の段階から踏み入る必要が出てくるような?ピアノだと押せば音はなるので、この部分が大雑把でも一応は音は並んでいってしまう・・・曲だけは難しくなっていける・・・

ピアノには何故ロングトーンの練習のような概念がないのだろう?考えてみれば不思議でさえある。高音を単音で響かせる弾き方とか、細かなパッセージを敏捷に、かつクリアに響かせる弾き方とか、和音を豊かに鳴らす具体的な弾き方とか・・・

ピアノの場合、もしかしたら、導入~初歩~中級~上級のようなステップにおいて、「このような場合は具体的にこのような弾き方をするのですよ、具体的練習方法としては、このようにするのですよ」みたいなものが欠けている?

バイエルとかソナチネでよくある「ドソミソ系」の形、アルベルティの形だが、左手でこれを弾き、右手のメロディーをドーと弾く場合、右手と左手では弾き方は本来異なるのでは?異なる響きが要求されるのであれば。でも現場では、せいぜい「左手は伴奏なのよ~」程度の指導しかなく、具体的な弾き方の指導まで入っていない。指導側も生徒側も、そのような概念さえ欠けていることもあるのでは?

大人のピアノ、趣味のピアノ、この場合、ショパンやリストの曲も一応は弾けるという人は非常に多い。そのような人の悩みの多くは「平坦になってしまう」「抑揚がつかなく、ただ音が並んでいるような?」みたいなものだと思う。その時に「私には感性とか音楽的表現のようなものが欠けている」となってしまう、そう感じてしまうのは不幸なことかもしれない。感性とかそのようなものではなく、もしかしたら初歩の段階から今まで、場面場面に応じた具体的な弾き方というものを教えてもらっていないのかも?

そうだとすると、難所、例えば「歌えない、ぶっきらぼう・・・」のような箇所、さらに技術的な箇所、例えば「音の粒が揃いにくい」という箇所、場面ごとに応じた「How」のようなものに欠けていた場合、とにかく数をこなす、繰り返すのような根性練習しか道はなくなっていくのでは?だって「How」を教えてもらっていないのだったらそれしかないよね?

できない、弾けない、抑揚がない・・・必ず原因がある。必ず「How」というものがある。ピアノにも音型別、場面ごと、それぞれに弾き方が変わる。それぞれの「How」がある・・・

kaz




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