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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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テクニックとメカニックと表現 

 

「テクニックはあるけれど、表現力に乏しい」この言い方、なんとなくスラっと読んでしまい、違和感を感じなかったりするが、実はおかしいのではないかと思う。テクニックがあれば、その演奏は音楽的に聴こえているはずだから。この場合、テクニックではなくメカニックという言葉を使用すべきなのではないだろうか?

「さぁ、スケールを弾くよ。〇秒以内に弾くのよ」とストップウオッチと共にバリバリと弾く。「〇秒以内にミスなく弾けたじゃない?」この場合、メカニカルには弾けたけれど、上がり下がりで音を、タッチをどうする・・・みたいなテクニックを含めれば、バリバリと弾いたのだったら、それはテクニックがあるとは単純には言えない。メカニックがあるとは言えると思うけれど。

チェルニーを高速テンポ(スピード?)でバリバリ・・・この場合もメカニカルには弾けたのかもしれないが、音楽的表現というものに結びついていなければ、それはテクニカルには弾けてはいない?

「彼(彼女)はミスなく弾き切った。難曲なのに凄い。メカニックはあるけれど、テクニック不足なので、表現として何も感じなかった」という言い方はできると思う。

メカニカルに弾けたバリバリ、ここをテクニックとして表現に結びつける・・・そうなのだろうが、厳密にはテクニックとメカニックは簡単に分けられるものでもないような?音の質の変化を求めるとして、そこには具体的な身体的(指的?)変化が求められるとは思う。感情を込めれば音が変わるわけではない、具体的に身体のどこかが何かをしなければならない。テクニックを介して表現に・・・なのだが、具体的な方法は極めてメカニカルな分野にも立ち入っていくのではないか?ショパンのノクターンが情緒不足の場合、月光の中で青白いショパンが夢見がちに弾いている姿を連想すれば、情緒不足が解決できるものでもないだろう。そこには身体的、指的、さらに脳内サウンド的な問題が関わってくるのではないか?

「そこはもっと歌って~」「感情を込めて~」という場合、念を入れるだけでは残念ながら演奏は変わらない。何かをしなければ。この部分、テクニックの問題でもあり、また細部的視野(?)を突き詰めていけば、それはメカニカルの問題も含んでくる。

仮定として、○○奏法研究所に〇年通って○○奏法を身につけたとする。その場合、メカニックをテクニックとして表現に結びつける経験を積んできたと楽観的に考えてみる。でも「自分はどのようなものを、どのような音で弾きたいのかしら?」という内側からの欲求というのか、理想サウンドのようなものが欠落していたら、その演奏は○○奏法的には弾けていても、音楽として人の心に入り込んでいく保証はないようにも思う。極端な例としては、指は、身体はバッチリ。でも表現したいものなんてないの・・・では何を伝えるのだろう?目的を知らずに手段だけを追い求めてしまっているような?

おそらく、メカニカルな問題のほうが練習しやすい。テクニックという領域に入ってくると、そして曲を弾くためには、この部分は避けられないと思うが、そこを具体的に指導できる教師も実は少ないのではないかと僕は想像している。

「心を込めて弾いて」「もっと歌わなきゃ」それは自分でも感じています。でもどうすれば?そこで悩む。悩んでも分からないから、分かりやすい「まだ音が弾けていないパッセージ群」をワシワシ練習してしまう。それ自体も難しいことだから、いつも時間切れ。「まあまあ練習の時のように弾けたかな?」「崩壊しちゃった」の繰り返し。音楽に結びつける具体的なことを教えてもらいたいわけです。生徒としては・・・

生徒側も自分を差別して「そんなことプロじゃないし」と思わずに、熱烈に焦がれてみたらどうだろう?「このパッセージ、もっとキラキラとした音で弾いてみたい」やってみよう。でも行き詰ると思う。具体的な方法を教えてもらっていないのだから。先生に質問してみよう。訴えてみよう。「もっとキラキラした音で弾きたいんです。どうやったらいいんですか?テクニックとして何が欠けているんですか?メカニカルな練習方法はどうすればいいのですか?」と。

いつも疑問に感じていることがある。それは技術と表現を極めて明確に分けてしまう人が多そうだということ。教師も生徒も。本来は分けられないものだとしたら?一応音が弾けるようになってから表情をつける・・・みたいな考えは、そろそろ廃止してもいいような気がするのだが・・・

聴き手をハッとさせる演奏、そこにはメカニックとテクニックと理想サウンドの一致があるのだと思う。そこの関連性というものに、日本のピアノ教育界は少々鈍感なのではないだろうか?

バレエを鑑賞すると、この部分が進んでいるように感じる。技術と表現を安易に分けない感じ?この二人は技術面(メカニック)で秀でているのでバレエ界でも有名な人たちらしい。たしかに簡単に超絶を・・・という典型のような?でも機械が、ただクルクル回っているようでは決してなく、テクニックを介して表現というものに完璧に結びつけている。僕だけかもしれないが、観ていてドキドキしてくるもの。躍動を共に感じるというか。

この人たちは、このバレエのパフォーマンスの際、「まず振り付け通りに踊れるようになってから表現しましょう」と考えたのだろうか?技術と表現は分けられないこともあるのではないだろうか?

kaz




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