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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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歌のようなピアノ 

 

自己肯定、それが大切だとしても、実際にその想いを貫くのは難しい。特に日本人には慣れていない感覚なのかもしれない。自分の演奏を褒められるとする。「凄くよかった。泣きそうになっちゃった」この時、「ありがとう・・・嬉しい」と本心を言葉として返す習慣に乏しい。「沢山ミスしちゃってぇ・・・」たとえ自分ではミスが気になったとしても、相手は全体の印象について良かったと言ってくれたのだったら、やはりそのことについて言葉にして相手に返すべきではないかと思う。でも、思うのは簡単だが、実際には難しい。

いつまでピアノを弾けるだろう?たまにそんなことを思う。自分自身が健康でも、家族の誰かが倒れるかもしれない。仕事は頑張っているつもりでも、会社が倒産してしまうかもしれない。それでもピアノは弾いていくのかもしれないが、おそらくリサイタルとかサークルの練習会などの参加は厳しくなるだろう。もし、そうなった場合、後悔することがある。「良かったよ」「感動しました」「泣いてしまいました」このような自分にとって嬉しい言葉を言ってくれた人と「音楽っていいよね、ピアノって辛いこともあるけど、やめられないんだよね」みたいな共通の想いを共有できなかった、しなかった、ここを後悔するのではないかと思う。

アメリカに住んでいた時、典型的日本人の常として、僕は謙遜の美徳というものを無意識に持っていたと思う。共通の友人を通して、ある歌手を紹介された。国籍はブラジルだったと思うけれど、両親がポーランドからブラジルに移民していて、本人もポーランドに留学したりして、ポーランド魂を持っていた。共通の友人もポーランド人で、彼がその歌手を紹介してくれたのだ。

「Kazはピアノが弾けるんだ」「じゃあ、何か一緒に音楽しようよ。僕が歌うから弾いてくれるかい?」当然予想された状況ではあるのだが、その時、僕はピアノなど全く弾いていなかった。留学中で楽器さえもなかったし。無意識だったと思う。反射的というか・・・

「いやいや、そんな・・・ずっと弾いていないし、そんな、とても・・・」

その歌手はパウロという名前だった。今ではトニー賞も受賞し、メトにも正式にデビューし、ミュージカル、クラシック問わず活躍している有名人だが、僕が会った時は、まだ無名でメトのアンダー歌手をしていた。本キャストが病気などでキャンセルした際の代役待機の役割をする。完璧に準備をし、いつでも歌える状態で舞台裏で待機をする。でも一声も発せず帰宅する日々・・・

おそらくパウロは日本的謙遜の美徳を理解しなかった。「何故?せっかく音楽をする時間、機会を与えられたのに、何故?」と感じたのだろう。パウロは僕を叱責した。ちょっと驚いた。「何故弾けないとか、自分を下手なんて言うんだ?」さらにこう言った。「自分(僕のことですね)に失礼じゃないか?」

その頃のパウロは金銭的にも苦しい生活をしていたらしい。空腹感には耐えることができた。でも毎晩こう祈っていたそうだ。「僕にも歌わせてください。何かを表現させてください」と。

実際にパウロの歌声と合わせてみると、それはそれは楽しい時間だった。移調も必要なく、それほど難しい譜面でもなかったし。でも僕に自己肯定感がその時あれば、楽しいだけではない、何かを共有しているような、さらに素晴らしい体験になったのだとも思う。

たしか、パウロは僕のピアノに対して、こう言ったと記憶している。

「歌のようなピアノだ・・・」

その時は「いえいえ、沢山間違えてしまって、お粗末で・・・」と反射的にまた返してしまった。今はどうだろう?

「歌のようなピアノだ・・・」この言葉は宝物としてしまっておいていいようにも思う。

kaz

パウロの歌声、彼にはオーラが漂っていた。無名の頃から。




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