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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

お知らせ 

 

6月30日のリサイタル、申込者が40人になりました。雑司ヶ谷音楽堂ですが、ホールというよりはサロンに近い?でも天井が高く2階席もあるので、「部屋」という感じではないです。ある人に「ライブハウスみたいな感じですか?」と言われたけれど、そうではないと思う。でも一般的なホールとも違うかな。舞台というものがなく、いわゆるフラットな形。椅子を並べるので、キャパシティの変動はこちらで可能。雑司ヶ谷音楽堂で検索してみると、会場の様子が分かると思います。このあたり丸投げで申し訳ありませんが・・・

最大キャパは60席まで可能。ただ舞台と客席が同じ高さなので、60席だとピアノのすぐそばにお客さんがいることになる。誰かにハンカチを持っていてもらって、手に汗を感じたら「ちょっと貸して・・・」ということも可能だし、暗譜が怖い曲は客席の誰かに楽譜を開いておいてもらい、チラ見をする・・・ということも可能ではある。そんなことはしないけどさ。でもそれほどに近い位置になるということだ。

今、迷っているのは、50席用意で理想聴衆数40人プラスアルファにするか、60席用意して50人プラスアルファにするか・・・

年度が替わらないと予定が分からないという人もいる。伺えるか未定なんだけども申し込んでおくという人もいる。無料の演奏会だし、チケットというものも存在しない。ただこのブログのメールフォームから申し込むだけなので、申し込んでも当日は聴きにこられない(こない)という人の人数も想定しなければならない。年度が替わってしばらくしたら、再度キャパをどうするか考えたいです。

今のところ、残席10、あるいは残席20・・・ということになります。60席以上は考えていません。残席情報は都度ブログでお知らせしていきたいと思っています。

曲目ですが、もしかしたら一部変更があるかもしれません、ここも今、迷い中です。変えるとしたら、2部の最後のクライスラー~ラフマニノフの「愛の悲しみ」「愛の喜び」になります。両曲とも譜読みが大変に困難な曲で、やっと弾けるようになった・・・という状態。せっかく弾けるようになったのに、弾かないのは勿体ない・・・という気持ちは非常に強い。

2部はボルトキエヴィチ、ラフマニノフ歌曲のトランスクリプション作品を2曲。ここは変わらないです。その後に「愛の悲しみ」「愛の喜び」と続けると、プログラム的にスッキリするのだと思うけれど、また「譜読みしたのに勿体ない」という気持ちもあるけれど、ラフマニノフ~アール・ワイルドの「ヴォカリーズ」を弾きながら、さらに現代につなげたい・・・と。ボルトキエヴィチ、ラフマニノフ、当時全盛の斬新で現代的な響きとは逆行したようなロマン溢れる作品。「ヴォカリーズ」もそのような作品になると思うが、アール・ワイルド的サウンド(つまりヴォカリーズですね)から、さらに現代につなげたいと・・・

アール・ワイルド版の「ヴォカリーズ」、結構現在では演奏されているみたいだが、かつて清水和音がこの曲を録音した時、まだ楽譜は出版されていなかったのだそうだ。録音するにあたり、清水和音はアール・ワイルド本人から楽譜を送ってもらったらしい。このCDは1985年に録音されているから、当時はアール・ワイルド版「ヴォカリーズ」は未出版だったということになる。割と最近のトランスクリプションなのだ。ある意味現代曲?1985年なんて、クラシック音楽的概念だと、もうほとんど現代なのではないだろうか?

「1985年、それに近い時期に、こんなにロマンティックなサウンドが生み出された・・・」この衝撃的な想いをプログラムに乗せてみようと・・・ラフマニノフに戻るのではなく。

曲を変更するにしても、具体的には現在考え中です。でも、クラシック音楽的概念での現代ピアニスト、あるいは現在存命中、活躍中のピアニストのトランスクリプションを検討中ではあります。このあたりも決定したらブログでお知らせしたいと思っています。

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、もともとは歌曲。母音唱法で歌われる歌曲を「ヴォカリーズ」と言う。つまり「ア~」とか「ウ~」と、歌詞がない。下手な歌手が歌うと「発声練習ですか?」のようになってしまう。でも多くの歌手が歌っていて、それは、あまりにも美しいメロディーだからだと思う。その美しさは「ロマン回帰」をしていたラフマニノフならではと感じる。多くの楽器に編曲されていて、ピアノバージョンだけでも、僕の演奏するアール・ワイルド、コチシュ、リチャードソン、フィオレンティーノとそれぞれのバージョンが存在する。

歌バージョンで僕が最も好きな演奏が、アンナ・モッフォの歌唱。ストコフスキーの指揮も素晴らしい。声の美しさが際立っているように思う。アンナ・モッフォは、見れば分かるように、大変な美貌の持ち主でもあった。女優、モデルのよう?

この声、この美貌・・・世間が放っておくわけなく、彼女は美貌のソプラノとして人気を博した。それは同時に歌手生命を短くすることにもなった。あまりに多忙で声を酷使してしまった。たしかに全盛期と比較すると、後年は、たしかに声が落ちた・・・という感じがしないでもない。でもマリア・カラスもそうだったような?

残念なのは、アンナ・モッフォという歌手を「美貌だけの歌手」と評価する人が存在することだ。オペラと視覚的要素のようなものが語られる時、決まってアンナ・モッフォが例に出される。しかもいい例えではなく。

「もしオペラに視覚的要素だけを求めるのならば、椿姫のヴィオレッタがでっぷりと太っていたら困るわけだ。視覚的要素だけを求めるのだったら、アンナ・モッフォの方が適役なのだろう。でもあんなに酷い声を披露する彼女の歌を聴きたいなんて人がいるとは思えない」みたいな???

kaz




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category: リサイタル 2018

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