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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

プロッティのジェラール 

 

昔から自分の名前が嫌いだった。義江なんて女の名前みたいだ。「女の子の義江ちゃん」友達からもからかわれた。弟たちは普通の名前なのに・・・

父親の強い希望で義江と名付けられたのだそうだ。母親は「女の子の名前みたい」と反対したらしい。長男、跡取りとして、父親は自分に対して、いつも厳しかった。そのことに対して不公平だとも思った。いつも暗くなるまで働いている両親は立派だとは思う。酪農という仕事を継ぐことは自覚していたし、馬や牛は家族のように思えた。でも、どうしても「自分だけに厳しい」という想いは拭えない。「なぜ俺だけいつも牧場の手伝いを?弟たちは遊んでいるのに・・・」

広大な十勝平野、義江は自分の生まれ育った土地が好きだった。昭和30年代、本土では高度経済成長と浮かれているようだが、北海道の田舎に暮らす義江には実感はなかった。豊かで広大な自然の中で働き、そして人生を終えるのだ。

「俺、高校を卒業したら東京で働きたい」義江が言い終わらないうちに火花が散ったように感じた。床に横たわっていた。「そんなことは許さない」いつもにも増して厳しく、そして寂しそうな父親の顔が見下ろしていた。

父親に反発したい・・・いつもそう思っていたし、そうしてきた。「なんで俺だけ・・・」そのような感情を止められない自分がいつもいた。

離れに父親の部屋があった。立派なステレオ装置は農家にはそぐわない感じもしたし、どこか子どもでも踏む込めないような神聖な空気さえ漂っていた。父親はいつも仕事が終わると、そこでクラシック音楽を聴いていた。特にオペラが好きだった。母親は「あの人の唯一のハイカラな趣味でね」と苦笑していた。

不思議なことに、音楽を聴く時には、いつも自分にだけは厳しく、突き放したような印象さえあった父親が、義江だけを誘った。音楽を聴く父親、その時だけは柔和になるように義江には感じた。外国語のレコードで、知識もない義江には、その良さが分からなかったが、優しい父親と過ごせることは内心嬉しかった。その時だけは父親を好きになれそうにも思えた。

父親は東京にも演奏を聴きに行くことがあった。そのような時は義江に演奏の素晴らしさを熱く語ったりした。「プロッティのジェラールが素晴らしくてな・・・生きていて良かったと感じたよ」プロッティのジェラール・・・何のことか義江には分からなかったが、機嫌のいい父親は嬉しかった。同時に反発心もあった。「自分だけ東京で遊んでくるのか・・・」

勘当という言葉を背に、義江は上京した。働くことの厳しさを知り、家族を持ったことで、さらに父親に対して複雑な想いを抱いたりした。「父親のこと、もしかしたら、あまり知らなかったのかも・・・」

「義江ちゃん、お父さんが危ないの。忙しいとは思うけど、帰ってこられる?」

父親は静かに目を閉じ横たわっていた。「さっきまで頑張っていたのよ。義江はまだかと言って・・・」母親はそう言いながら泣き崩れた。音楽を聴いていた時の顔みたいだ・・・義江はそう感じた。「あなたのこと、何も知らない・・・」そうも感じた。

突然に亡くなった。早すぎると感じる。弟たちも札幌や東京に出ていた。跡継ぎがいない・・・母親は牧場のことは諦めていた。「あんたたちには夢があるだろうから」と。

十勝の山、牧草地は懐かしく、義江を包んでくれるように思えた。そして妻が言った。「ねぇ、北海道に越してきましょうよ?」「お前、酪農の経験なんてないだろ?」「お義母さんがいるじゃない?教えてもらうわ」「本当にいいのか?」「なんだか何かに呼ばれているという気がするの。子どもが生まれたら東京の狭いアパートよりも、ここで育った方がいいと思うしね。とにかく呼ばれている感じなの」

かつての両親のように暗くなるまで働いた。馬や牛たちも疲れを癒してくれた。離れの父親の部屋、そこには古いステレオ装置とレコード、そして父親が聴いたであろう演奏会のプログラムがまだ残っていた。

アルド・プロッティ、アンドレア・シェニエ・・・色褪せたプログラムをパラパラとめくってみる。「プロッティのジェラール・・・生きていて良かった」父親の声が義江の脳裏に蘇ってきた。「そうだ、たしかにプロッティのジェラールと言っていた・・・」

オペラ「アンドレア・シェニエ」イタリア歌劇公演1961年、東京文化会館、ジェラール・・・アルド・プロッティ(バリトン)とある。そうだ、この時の公演のことを父親は熱く僕に語っていたのだ。レコードを探してみても「アンドレア・シェニエ」のレコードはなかった。プロッティという歌手のレコードもなかった。

高度経済成長期の波は十勝平野にも訪れていた。娘が「ピアノ習いたい」と言った時も、ピアノを躊躇することなく買い与えた。離れの部屋にピアノを置いた。初めは夢中になって、喜び勇んでピアノ教室に通っていた娘だったが、お決まりのように練習をしなくなっていった。「ピアノ・・・つまらない・・・ピアノなんて大嫌い!」

妻は「あなたがやりたいって言ったのよ?ピアノだって高かったのよ?ちょっと我がままじゃない?」泣きながら訴える娘にそう言い聞かせていた。義江は切なくなった。ピアノなんて大嫌い・・・娘の言葉が胸に突き刺さってきた。父親もこのような気持ちがしたのでは・・・

クラシック音楽を聴かせてくれた。オペラへの熱い情熱を僕に語ってくれた。でも僕は父親への反抗心から無関心を装った。「クラシックなんて大嫌いだ」

パソコンを起動してみる。そして検索した。アルド・プロッティ・・・と。ユーチューブでヒットした。セピア色の動画だった。1961年、イタリア歌劇団の公演だろう。「こんな古い映像が残っていたのか?この歌唱を父親は生で聴いたのだ」おそらくパソコンのスピーカーで聴く歌声の百万倍の素晴らしさだったのではないだろうか?義江はそう感じた。そしてクラシック音楽というものを初めて聴いたような気がした。「プロッティのジェラールが素晴らしくてな・・・生きていて良かった」かつての父親の声を聴いたような気がした。プロッティの歌声を聴きながら、義江は父親のことを誇りに感じた。また父親のことは何も知らない、そうも感じた。

「義江・・・この名前が子どもの頃から嫌で仕方なかった」妻はこう言った。「あら、素敵な名前じゃない?藤原義江の義江でしょ?」「藤原義江って?」「やだ、義江さん、知らないの?私でも知っている有名なオペラ歌手じゃない?藤原歌劇団とかあるでしょ?」

「お義父さんは義江さんに夢を託したんじゃないかしら?もしかしたらお義父さんは若い頃歌手を夢見た。でも時代がそうはさせなかった。だから子どもに夢を託したのよ。きっとそう・・・」

そうだったのか?オペラ歌手?藤原義江?

主人のいなくなったピアノ、離れにあるピアノ。「僕が弾いてみようか?この年齢で今さらピアノのお稽古か?」

義江は父親のことは何も知らなかった。でも、父親の顔はトツトツと弾く義江のピアノの音色に微笑んでいるようにも感じた。

kaz




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