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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

大人になったら耳から練習 

 

ハイク・メリキャン、コンポーザー・ピアニストということになる。僕は、自作の曲やトランスクリプションを演奏するピアニストが好きな傾向にあると思う。他にはスティーヴン・ハフとか、ロベルト・ピアナとか・・・

視覚的に読んで、音として並べてみました・・・ではない演奏を好む。まあ、これは誰でもそうだと思うけれど。

多くの人は印刷された楽譜を視覚的に読み、音符を音していく・・・という練習をしてきたと思う。それが練習の王道でもあった。今もそうだろう。視覚的にだけではなく、耳で聴いての「音楽として成り立っている素敵要素」を練習に取り込んでみるのもいいのかもしれない。ただし、子どもの場合は特にだと思うけれど、これは危険な綱渡りでもあるのかもしれない。僕自身、楽譜の読めない劣等生だったので、綱から落ちた時の苦しさを体験で知っている。

「音のシャワーを浴びましょう」そこから入ってしまうと、楽譜そのものが読めなくなる、あるいは楽譜を読むのが面倒になる。音のシャワー時代に浴びていたサウンドよりは、はるかにシンプルなサウンドを楽譜から読み取っていく地味な辛さに耐えられなくなるのだ。やはり視覚的に読めないと、耳コピの天才でもない限り、ピアノ道は挫折の道に進んでしまう。個人的には、楽譜を読む苦労の割にはサウンドとしては素朴なので、どこか後退感を感じてしまった。「前はピアノを弾く(ピアノで遊ぶ?)のが楽しかったのに」みたいな?

読譜力というものは大切だと思う。でも現に読める人、例えば大人の再開組・・・みたいな人は、もしそれまでのピアノ道、譜読みというものが完全に視覚派だったのであれば、発想転換として耳からの練習をしてみてもいいかもしれない。

「まっ、いきなり即興?」とか「ソルフェージュ?」とか「和声学の知識を・・・」とか重く捉える必要もないのではないか?

〇 ピアノ曲だけではなく、他の楽器や声楽曲を聴いてみる。

これは知識としてではなく、「あら、素敵じゃない?」と自分が感じた要素を自覚化し、練習としてピアノでも同じようにできるかやってみるところに効果がある。なまじ自分が人前で演奏するピアノ曲よりも、純な感じで音楽そのもの、自分が感じた魅力のようなものを追及しやすい利点があると思う。

〇 3段譜をピアノで弾く。

ヴァイオリンなどの楽器は、ソロの部分もピアノのパートも難しい場合が多い。声楽の曲であれば、曲にもよるが、割合とシンプルなものも多い。別に人前で弾くわけではないのだ。ミスなど気にしない。最初から(弾けてからとかではなく)自分で感じた「素敵要素」に挑んでみる。

ハイク・メリキャン自身が編曲した「私を泣かせて下さい」というヘンデルの曲。楽譜としてはシンプルだと思う。視覚的にただ弾く、並べる・・・だったら初見でも可能かも?彼のようなサウンドにはならなくても、とにかく声楽用の3段譜で弾いてみる。なんちゃって~でいいのだ。

素敵と感じた要素、例えば「レーレーミファソドード」という部分、ミファソに「気」が入っているのは聴いていれば分かる。自分も早速やってみるのだ。「ミファソを強くかしら?」ただ強いだけ?あれ???ハイク・メリキャンのようには弾けない・・・

でも、あなたは音楽的練習をしているのではないか?素敵と感じた部分、今はできなくても、感じた素敵要素に直接入ろうとしているのでは?これは立派な練習・・・ではないか?

ミファソ・・・視覚的にただ「3連符ね。一拍を3等分で弾くのね」ではなく、何かしらをやろうとしている・・・

大人になったら耳から練習・・・異端かな?

kaz




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