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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

開拓者のショパン 

 

僕は全くコンクール史のようなものには詳しくはないのだが、おそらく日本人で初めてショパン・コンクールに挑戦した人、原智恵子ということになるのではないだろうか?

1937年、昭和12年に原智恵子は第3回ショパン国際ピアノ・コンクールに参加している。日本人、いや東洋人がピアノを、それもショパンを弾くなんてこと自体が珍しがられた時代だったのではないだろうか?「日本?日本ってあの東洋の島国?」のような?「日本人(東洋人)にショパンなんて弾けるの?そもそもピアノが弾けるの?」みたいな?

音楽市場、当時の日本、東京の地位は今とは異なっていただろうし、音楽的国力みたいなものも違っていただろうと想像する。つまり西洋音楽後進国のような?突然登場した日本人・・・だったのかもしれない。パリ仕込みではあったものの、開拓者としての日本人。

結果は15位・・・ということだったらしい。現在までの日本人の最高位は第2位なのだから、単純に考えると、それほど輝かしい成績ではないのかもしれないが、「ものがたりショパン・コンクール」(著:イェージー・ヴァルドルフ)には、第3回コンクールでのある事件について触れられている。

日本人女性の成績が予想に反して低かったために、会場の聴衆は審査員にブーイング。会場は騒然となり警官隊が出動する騒ぎに発展した。この混乱状態を救ったのがメイエールという富豪。彼が審査員にこう提案した。「聴衆賞をあの女性に与えたらどうかね?」と。この聴衆賞のおかげで聴衆も静まったとされる。

原智恵子のショパンのコンチェルト・・・この演奏はコンクール当時のものではなく、マダム・カサド時代の演奏。何と言ったらいいのだろう?まず感じたのは「外国人の演奏みた~い」ということ。これは偏見に満ち満ちた感想かもしれないが、まずそう感じた。大正生まれの、セピア色のピアニストがこんな演奏をしていたなんてとは感じなかった。ただ外国人のようだ・・・と。

内側から迫ってくるような?ただ達者に音符を弾いています・・・のような演奏ではないと。この曲はこのような曲なんです的な、説明的演奏とも異なる。すべてが弾み、訴えてくる。聴き手に入り込んでくるような方向性の演奏と感じる。なので外国人みたい、つまり日本人ではないみたい・・・と感じたのだろうと思う。

当時、原智恵子の演奏から、何かしらをピアノ教育界は感じた可能性がある。「何かが彼女は違う、何かが自分たちとは違う」と。現在、その感覚は過去のものになったのだろうか?情報も、ピアノ人口も当時とは異なる。つまり世の中豊かになった。でも「音楽的に弾けない」という悩みが過去のものになったとは思えないような気もする。

kaz




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