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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

愛の二重奏 

 

子どもの頃「世界音楽全集」のようなレコードが家にあり、数々の名曲はそのレコードから知った。その中のチェロ名曲集のレコードにはガスパール・カサドの演奏が収録されていた。たしかピアノは日本人女性の名前だったと・・・

原智恵子という大正生まれの日本人ピアニストの演奏を初めて聴いたのは、たしかその時だったのだと思う。もうそのレコードは手元にはないが、同じ内容のCDは所有している。カサドのチェロにもだが、ピアノの音色を聴いていると、何とも言えない感情がわき起こってくるようだ。

大正時代、ピアノ奏法の情報など、何もない時代だったはずだ。ピアノを弾く、習うなんて深窓の令嬢以外にはいなかった・・・のような時代?実際に原智恵子は深窓の令嬢だったのだと思うが、その腕前は淑女のたしなみという域を超えていた。幼い頃習っていた先生はペドロ・ビリャベルデというスペイン人の先生。そのままフランスに渡り、パリ音楽院でラザール・レヴィに師事するから、日本のピアノ派閥のようなものとは無縁だった人と言える。

日本帰国後もパリ仕込みをそのまま日本に持ち込んでしまった、これが彼女の不幸だったのだろうか?楽壇の重鎮からは「生意気な女だ」「女が男に意見するなんて」と反発されたようだ。

当時の日本、パリ仕込みのピアノはどう聴こえたのだろう?聴衆は夢中になった。当然人気ピアニストの地位を確立した。そのことにより、さらに重鎮たちの攻撃は増す形となった。「原智恵子 伝説のピアニスト」(石川康子:著)という本を読むと、重鎮たちの当時の攻撃は、まさに「イジメ」のような感さえ抱いてしまう。

夫の浮気、離婚・・・となるのだが、離婚が成立する前に原智恵子はカサドと愛の逃避行。当時は週刊誌などでかなり騒がれたらしい。「子どもを捨てた鬼のような女」と。智恵子の離婚が正式に成立すると、二人は結婚した。

原智恵子  44歳  再婚      ガスパール・カサド  61歳  初婚

「智恵子が結婚のやさしさを私に感じさせてくれました。もう20年早かったら・・・と残念に思います。智恵子が私の最初で最後の恋人であり、妻であります」ガスパール・カサド

二人は「デュオ・カサド」として日本にも来日(!)するようになる。この時、日本の重鎮たちは彼女をどう迎えたのだろう?ヨーロッパの音楽界、社交界に君臨する「マダム・カサド」をどう迎えたのだろう?かつての生意気な原智恵子ではないのだ。あの巨匠、ガスパール・カサドの夫人なのだ。

手のひらを返したような扱いをされた時、原智恵子は本当の意味で日本を見限ったのかもしれない。

kaz




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