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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

何故ジャズの人って緊張しているように見えないの? 

 

大概本番での演奏って上手くいかない。「う~ん、60パーセントの出来か?」みたいなことは多い。80パーセントの出来なんて今までないんじゃないか?指先に念が入らず、肘あたりでストップしてしまうような感覚に本番では悩まされる。色々と思う。「こんなはずではないのに」みたいな?

「家ではもっときちんと弾けてたのよ~」

「ミスなんて関係ないわ。音楽よ~」と開き直る、本番直前ならまだしも、練習段階でそう思うことは僕の場合はできない。底なしに落ちていくような?

本番で上手くいかなかった時って、曲と最初に出逢った時の感動というのかな、実際の演奏はどうであれ、自分自身納得できないような、悔しさを感じる時って、曲との出逢いの時の想いと完全に分離してしまっている時だと思う。細かなミスに心を奪われ「あっ、やっちゃった」「あっ、ここもダメだし・・・」みたいな?演奏後は日頃の40パーセントの自分がいる・・・

クラシック音楽は再現の芸術とされている。皆が同じ楽譜を弾くわけだし。たまにジャズの演奏を聴くと、演奏しているご本人たちはどうだか分からないのだが、自分たちクラシックの人よりも緊張していないような、あがっていないような印象を受ける。自分の場合を考えてみても、歌曲やギター曲を自分で編曲(耳コピ)して演奏した時は、普通の(ショパンとか?)クラシックの曲を演奏する時のようには緊張しない。演奏後も何故か〇パーセントの出来・・・とか思わない。この場合、何かを「再現」という意識が希薄なのだと思う。内側から出るもの、それに素直に乗せていくみたいな感覚の方が大きい。

緊張、あがり・・・というものと、再現しなければという意識は密接な関係にあるのかもしれない。的中率みたいなものを重視してしまうと、〇パーセントだわ、家ではましだったのよ・・・みたいな?でも実際には決められたものを再現するわけだし・・・

曲との最初の出逢い、その時の想い、心の動き。譜読みを開始した途端、そのようなものは離れてしまって、「弾けるように」「弾けた時の再現が本番でもできるように」とだけなってしまうと苦しくなってしまうのではないか?

クラシック音楽って「再現音楽」なのだろうか?忠実なる再現?

コンポーザー・ピアニスト、このような人たちって、自分で作曲をしたり編曲をしたりする。例えば自身のトランスクリプション作品を演奏する時、彼らは「再現」とか「練習の成果」とか「的中率」「出来栄え〇パーセント」とか考えているのだろうか?

ハイク・メリキャンというピアニストをご存じですか?たしかアルメニアの人だったと思う。来日もしていますね。でも日本でメジャーとは言えないような?彼は自身のトランスクリプション作品を弾いたりしている。

ヘンデル~メリキャン「私を泣かせてください」を演奏している時、演奏者メリキャンの頭の中はどうなっているのだろう?再現?

kaz




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