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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

代弁 

 

楽譜を開いて練習する。この曲は何を表現しているのだろう?隠されているものを見つけようとする。自分もそこに隠されているものに触れたいと思う。芸術に触れたいというのかな?豆粒のような存在の自分でも、努力すれば美というものを感じることができるかもしれない・・・

芸術の美に人間がひれ伏すというよりは、人間が心の中に折り重ねているものを、逆に芸術というものが代弁してくれると考えてみたらどうだろう?芸術の下に人間がいるのではなく、対等であるという考え。もちろんこれは相当不遜で傲慢な考えであるのかもしれないが、ある種の音楽やパフォーマンスに感動するということを考えると、自分の場合は、自分の内面との共感を感じる。日常生活では考えもしなかった、意識さえしていないような、自分の内面に音楽が触れてくる。自分の感情を代弁してくれているような不思議な感覚。

歌の場合は歌詞があるけれど、その歌詞内容が自分の人生や内面に完全に一致していなくても、何かしらの共通点を感じ、自分の感情を、それは隠していたいような感情だったりするわけだけれど、その感情を代弁してくれているような感覚を持つ。

「最愛の人が天国に行ってしまった」という歌詞内容、実際には親族も友人も、全員が健在だったとしても、普通は「私には関係ないわ」とは思わない。何かしらの共通点を感じる。自分の中で感じる喪失感のようなもの。切なさとか。

子どもの頃は、楽譜に書いてくれる先生の花マル、今だったら自分の演奏に対する自己評価となるだろうか、つまりピアノ道というものは、課題をこなして、理想の演奏、それはミスなくとか、流麗にとか、さらには聴き手として受けた感動を、自分でも、自分の手で・・・のようなものも含まれると思うけれど、あるところへ到達したいと思い過ぎなのかもしれない。少し途中経過、練習状況、本番後の後悔とかばかり意識しすぎているような気がする。

課題を克服したいからピアノを弾いているわけでもないような気がする。何かに到達したいからピアノを弾いているわけでもないように思う。大人の場合、自分の内面以外に「ピアノを弾きなさ~い」などと誰も言ってくれない。でも弾いているわけだ。それは超絶技巧曲を弾きたいからでも、自分よりも上手な誰それさんよりも上手くなって得意になりたいからでもないと思う。

僕の場合、何かしらの内面に溜めてきたものを外に出したいと思う。音楽というものが自分を触発するのだ。その放出手段がピアノなのだ。

今現在、到達したいもの、理想とする演奏には程遠いのかもしれない。でも「自分の思う通りに弾けないダメダメな自分」と必要以上に自分を落とす必要もないのではないか?放出しようとしている自分をポジティブに捉えてみてもいいのかもしれない。

たしかにミスはある。クリティカルに聴いたら色々とあるだろう。でもその人の演奏に惹かれるということはある。何かしらの共通点を自分も感じたからではないだろうか?「そうだよね、ピアノで表現したいよね?」とか「生きるって辛いこともあるよね?」とか・・・それは自分も持っている感覚で、そこに共通点を感じるから、たとえ未熟でもその人の演奏に惹かれたりするのではないだろうか?代弁してくれているもの、同じ時間に自分も演奏者も感じているという感覚・・・

ある海外のオーディション番組。これ、有名ですよね?この番組のいいところは決して点数を出さないところ。出場者は素人さんであるわけだから、パフォーマンスの質としては、それぞれ色々とあるだろう。基準は「達者度」ではないような気がする。クリティカルに判断すれば、そのパフォーマンスには色々とあるはずだ。でも客席にいる人と舞台で表現している人との、何かしらの一致のようなものを感じるパフォーマンスも存在しているような気がする。

このパフォーマンスのテーマは「いじめ」であると思うのだが、実際にいじめを経験したことがない人でも「共感」はできるのではないだろうか?自分の内面、代弁してくれていると感じるものが「いじめ」ではなくても・・・

心が動くという場合、自分自身の内面に何かが存在しているのだ。パフォーマンスが、それを代弁してくれている・・・

kaz




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