「舞踏への勧誘」
クラシック音楽、Jポップのように流行はあるのか?「ないからクラシックなんでしょ?」
たしかに、天地真理の「ひとりじゃないの」とか「恋する夏の日」などを聴くと、ある種の懐かしさを感じる。でも、天地真理のヒット曲よりも、はるか昔に作曲されたクラシックの曲に対して、そのような懐かしさを感じることはない。ベートーヴェンのソナタを「ああ、子どもの頃流行ったのよねぇ・・・」という感覚で聴くことはない。だからクラシック音楽なのだろう。
凡作、駄作という作品は消滅する運命にあるのだろう。でも現在でも名曲として残っていて、しかも、かなり有名ではあるのに、何故か演奏されなくなった曲というものも存在する。
サロン的な会場から大規模なホールへ→ザハリヒな傾向から大曲が好まれるように→CDの普及により長時間再生が可能に→演奏会場でも全曲志向へ。ショパンのエチュード、かつてのサロン風な演奏会では抜粋で演奏したのだろうが、現在では全曲演奏されても、あまり違和感を感じなくなっている。
そのような流れの中、名曲であるのに、かなりの認知度さえあるのに、往年のピアニストは好んで演奏したのに、現在ではピアニストがリサイタルで演奏することがなくなった曲というものは存在する。
ウェーバーの「舞踏への勧誘」とか・・・
たしかにリサイタルでは、プログラミングというか、組み合わせに難航(?)するかもしれない。「舞踏への勧誘」の直後にベートーヴェンの後期のソナタというのも違和感を感じるかもしれない。ショパンのソナタというのも・・・
「えっ?現代でも街のピアノ教室の発表会などで演奏されているんじゃないの?」
たしかに「ピアノ名曲集」のようなCDには収録されていたりはするが、この曲、かなり技巧的に難しい。ランゲの「花の歌」とかネッケの「クシコスポスト」のような曲とは異なる。いわゆる「上級者向け」になるのではないか?「舞踏への勧誘」が弾けるのだったら、ショパンも弾ける・・・
この曲、昔の大家(?)は結構演奏(録音)している。コルトー、シュナーベル、最近(?)ではデ・ラローチャ、現代のピアニストではスティーヴン・ハフとか。
かなりの技巧を駆使した曲を、そよ風のように・・・現代のピアニストはこれが苦手なのではないだろうか?
「舞踏への勧誘」は「ワッ、よく弾けるわねぇ・・・」ではなく、「なんて素敵なの?」と感じさせなければならない。バリバリと難所を克服している・・・ではなく、難所もそよ風のように・・・ここが難しいのではないだろうか?
その種の「素敵的難曲」(?)をそよ風のような魅力で演奏しているのがイグナツ・フリードマン。彼は素敵難曲の大家であるように感じる。
この種の魅力を現代のスーパーピアニストから聴くことは難しい。
kaz

にほんブログ村

ピアノランキング
たしかに、天地真理の「ひとりじゃないの」とか「恋する夏の日」などを聴くと、ある種の懐かしさを感じる。でも、天地真理のヒット曲よりも、はるか昔に作曲されたクラシックの曲に対して、そのような懐かしさを感じることはない。ベートーヴェンのソナタを「ああ、子どもの頃流行ったのよねぇ・・・」という感覚で聴くことはない。だからクラシック音楽なのだろう。
凡作、駄作という作品は消滅する運命にあるのだろう。でも現在でも名曲として残っていて、しかも、かなり有名ではあるのに、何故か演奏されなくなった曲というものも存在する。
サロン的な会場から大規模なホールへ→ザハリヒな傾向から大曲が好まれるように→CDの普及により長時間再生が可能に→演奏会場でも全曲志向へ。ショパンのエチュード、かつてのサロン風な演奏会では抜粋で演奏したのだろうが、現在では全曲演奏されても、あまり違和感を感じなくなっている。
そのような流れの中、名曲であるのに、かなりの認知度さえあるのに、往年のピアニストは好んで演奏したのに、現在ではピアニストがリサイタルで演奏することがなくなった曲というものは存在する。
ウェーバーの「舞踏への勧誘」とか・・・
たしかにリサイタルでは、プログラミングというか、組み合わせに難航(?)するかもしれない。「舞踏への勧誘」の直後にベートーヴェンの後期のソナタというのも違和感を感じるかもしれない。ショパンのソナタというのも・・・
「えっ?現代でも街のピアノ教室の発表会などで演奏されているんじゃないの?」
たしかに「ピアノ名曲集」のようなCDには収録されていたりはするが、この曲、かなり技巧的に難しい。ランゲの「花の歌」とかネッケの「クシコスポスト」のような曲とは異なる。いわゆる「上級者向け」になるのではないか?「舞踏への勧誘」が弾けるのだったら、ショパンも弾ける・・・
この曲、昔の大家(?)は結構演奏(録音)している。コルトー、シュナーベル、最近(?)ではデ・ラローチャ、現代のピアニストではスティーヴン・ハフとか。
かなりの技巧を駆使した曲を、そよ風のように・・・現代のピアニストはこれが苦手なのではないだろうか?
「舞踏への勧誘」は「ワッ、よく弾けるわねぇ・・・」ではなく、「なんて素敵なの?」と感じさせなければならない。バリバリと難所を克服している・・・ではなく、難所もそよ風のように・・・ここが難しいのではないだろうか?
その種の「素敵的難曲」(?)をそよ風のような魅力で演奏しているのがイグナツ・フリードマン。彼は素敵難曲の大家であるように感じる。
この種の魅力を現代のスーパーピアニストから聴くことは難しい。
kaz

にほんブログ村

ピアノランキング
スポンサーサイト
tb: -- cm: 0
| h o m e |