FC2ブログ

ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

どちらでもない・・・ 

 

初めてピアノ教室の体験レッスンに幼い我が子を連れていくと仮定してみる。もしくは、熟年ピアノを始める、再開するとして、初めてのレッスン。そこで教師からこう問われたら戸惑うのではないだろうか?

「専門的に習いたいのですか?それとも趣味として楽しみたいのですか?」厳しくバリバリと?それとも楽しく?

「そのどちらでもないんだけどなぁ?」というあたりが生徒側、その保護者の正直なところではないだろうか?ビシビシと〇歳までにショパンのエチュードを・・・というのも違うし、ではJポップとかアニメの曲を楽しく体験できればそれでよし・・・というのとも違う。大雑把ではあるが、「美を感じたい」、習う側の動機としてはそんな感じなのではないだろうか?途中で辞めるかどうかは別として、将来音楽の花園に自分で入っていける力を、本当の演奏の楽しさを身につけて欲しいとか、聴き手として感動した曖昧模糊なる魅力を僅かでもいいから自分でも触れてみたい・・・とか?そんな感じではなかろうか?極論を突き付けられても困るのだ。Aではないのね?じゃあZね?ZじゃないのならAということね・・・そう極端に分けられても困るのだ。

「ヨヨヨ・・・と泣くように歌うのだ、抑揚をつけるのだ・・・ではないよね?楽譜に盛り込まれてるでしょ?」
「ルバートというものを排除するような昨今の演奏は嘆かわしい」

なんとなく両極端なことを言っている人がいる。マルセル・モイーズという往年のフルーティスト。この人はフルート吹きの間では神様のような人らしい。この人の残した「ソノリテ」という教則本はフルートのバイブル的扱いのようだ。ピアノにおける「バイエル」みたいな位置づけなのかもしれない。

フランスのフルート奏者で、1889年に生まれ、非常に長生きして、1984年に亡くなっている。教育者としても有名だったらしい。もしかしたら、ザハリヒ以前の主観的演奏、演奏者の気分次第的な「歌うのよ~」的な、作品の本質から離れた演奏、反対に、あまりにも楽譜忠実=印刷された音符命・・・のような昨今の演奏、両方を聴いてきた人だったのではないだろうか?

「その方が吹きやすいからといって、フレーズの途中で音色を変えてはいけない」
「メロディーには表情豊かな歌詞がつけられているんだよ」

このマルセル・モイーズの言葉は「楽譜にはすべて盛り込まれているんだよ?そこを拾わないで、感じないでどう演奏するというのかね?」と言っているように聞こえる。

音程の跳躍、長い音、短い音、連続する音型・・・楽譜、それを印刷された音符の連なりとして、ただ視覚的に音にしてしまうのではない、そこに書かれたものを読み取り、感じて演奏しているように思う。同時に「印刷された音符に忠実」と「心からの主観的なものだけに頼って歌う」という両極端のものの間にあるような演奏というようにも聴こえてくる。

本質というものは、目に見えないどこかに、ぶら下がっているのかもしれない。AでもZでもない、どちらでもないところに・・・

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング

スポンサーサイト



category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top