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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

起承転結自覚化練習 

 

憧れの曲をなんとか弾いた。例えばショパンのスケルツォとかラフマニノフのプレリュードとか。一応は弾けるけれど、なんとなくいつも思う。ただ弾いているだけ、ただ音を並べているだけ・・・のような?どうも音楽的とか、表現豊かにとか、そのようには弾けない。緊張感からくるミスとか、そのようなことではなく、もっと根本的な「私ったら表現不足?」みたいなこと。

「私ったら表現力に欠けているんだわ」「基礎力が不足しているのね」

では、指練習をワシワシと行い、チェルニーもなんのその、次の憧れの曲を弾く時には練習時間を倍にしましょう、難所のリズム練習なんかもワシワシと頑張って・・・

さて、次の憧れの曲を人前で弾いた時、前回感じた「ただ音を並べている?」という自分への不満は解消されただろうか?練習すればするほど「曲は弾ける」ようにはなっていく。つっかえたりもしなくなる、そう、弾けてくる。でも音並べしているみたい・・・そこが変わらない。どうして?

「曲が難しすぎるのかしら?私には身分不相応な曲だったのね。身の丈を考えた選曲をしろということなのね?」

百歩譲って、身の丈思想が正しいとしよう。それならば、一般的に言われている「難易度」のようなものをぐっと落としてみたら、音楽的に表現豊かに弾けて、決して「音並べ演奏」にはならないということなのだろう。ショパンやラフマニノフは難しい。だから音並べになる。だったら、ベートーヴェンの「ト調のメヌエット」なら、ピティナさんもブルグミュラー程度としていることだし、余裕よね。

「ト調のメヌエット」を、聴いている人が「あれ?素敵な演奏ね」と思えるように演奏できるだろうか?会場の聴き手のテンションを集められるような演奏ができるだろうか?難曲よりは、練習時間も短くて済むだろう。曲は弾けるだろう。でも音並べは変わらなかったとしたら?

「私ったら才能ないんだ・・・」そう思ってしまったら人間そこでストップしてしまう。才能ではなく、基本的な曲の起承転結のようなものを、そしてそれを具体的にどう弾いて表現というものに結びつけるとかいう、ピアノの基礎の基礎を学んでこなかった、意識してこなかった・・・ということにも一因はあるかもしれない。その基礎は、バイエル前半、つまりシンプルでも曲という形態を成したものを演奏する(習う)時に、まず最初に身につけるべきことだったのでは?

曲には起承転結がある。大きく捉えてもそうだし、小さく捉えても起承転結はある。音が高く、盛り上がって、そしておさまる。フレーズと呼ばれているもの。そこがスポッと抜けてしまっているのかもしれない。

音並べの原因は、才能不足、感性不足ではなく、難所を弾けるように、パーツ毎にそれを繰り返す。本番(つまりその曲の仕上げ時)には、各パーツをミスないように積み重ねていく感じで弾いてしまう。パーツの寄せ集め、つまり音並べとなってしまうのではないだろうか?本来は起承転結、自然な抑揚・・・音同士、フレーズ同士の会話といったものを丁寧に、丁寧に紡いでいくべきなのでは?ドレミとドミソは違うよね、長い音符と短い音符は違うよね・・・みたいなこと?ミレドでおさまるんだよね・・・みたいなこと?

本番用、レッスン用の正規の(?)曲以外に、自分だけのシンプル曲を持って、実際に弾いてみたらどうだろう?「ト調のメヌエット」のような?「そんなぁ、今さら子どもじゃないんだし・・・」

ラフマニノフでは音並べだったけれど、「ト調のメヌエット」は簡単だから、人が変わったように音楽のミューズが微笑みかけてくれるような演奏ができるという人はやらなくてもいいと思う。

巨匠は「ト調のメヌエット」をどう弾いているだろう?例えばヴァイオリニストのグリュミオーとか。ピアノでこれができればいいんですよね?音が少なく、単純な意味で「簡単」という曲を自分はどう弾くだろう?

才能の有り無しで片づけてしまう、諦めてしまう前に「起承転結自覚化練習」をしてみてもいいかもしれない。

kaz




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