夭折
ミハエラ・ウルスエアサというピアニストは早熟な人だったのだろう。昔々、彼女のLDを持っていた。レーザーディスクというものが昔はあったのです。なんだか時代を感じさせてしまうが、そのLDは彼女の早熟さをアピールしたものだったと記憶している。いわゆる「天才少女」という触れ込みだったような?たしかに難曲を楽々と弾いていたと思うけれど、演奏そのものは忘れてしまったところがある。どんな感じだったかな?
その後、ウルスエアサ嬢の名前は聞かなくなった。天才少女(少年も)の、その後の難しさということなのだろうか?大人になればただの人・・・みたいな扱いを彼女も味わったのだろうか?
大人のピアニストとして再びウルスエアサの名前を聞いたのは、彼女がクララ・ハスキル国際ピアノコンクールで優勝した時。このコンクール、日本人優勝者が3人もいる。グーグルで検索すると、前回優勝の日本人ピアニストのことが沢山出てくる。なんとその人は18歳だということだ。
ウルスエアサが、このコンクールで優勝した時、彼女は16歳だった。やはり早熟の人だったのだろう。
彼女のCD(もちろん輸入盤)を偶然に見つけた時、その名前に懐かしさを感じた。そしてその演奏は、ピアニストとして勝負に出た・・・的なものでもあった。30歳を過ぎたウルスエアサは大人のピアニストとして成長していたのだ。
天才少女は消えてしまったわけではなかった。研鑽をしていた。クラウディオ・アラウとの出逢いが大きかったらしい。「いい教師がウィーンにいる。あなた、彼のもとで勉強しなさい」という言葉に従った。ウィーンで研鑽し、ピアニストとして、大人の芸術家としても、ウィーンを拠点として活躍するようになった。
「PIANO & FORTE」というCDでの演奏、そこには天才少女の姿はもうなく、若武者のような・・・と表現すればいいのだろうか、「さあ、準備は整った。勝負よ」みたいな勢い、積極性を感じさせた。先に紹介したヒナステラのソナタも、このCDに収録されている。古典やロマン派も悪くはないけれど、彼女の長所は、ヒナステラのような、割と近代的な曲に発揮されているように感じた。
ルーマニア出身ということで、自国の作曲家、パウル・コンスタンティネスクの作品を一曲演奏している。「渾身の・・・」という表現が相応しいような演奏だ。
若手の逸材として活躍していくはずだった。しかしウィーンの自宅で倒れているのを発見された。脳出血だったらしい。
ミハエラ・ウルスエアサ・・・ルーマニアのピアニスト。享年33・・・
kaz

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その後、ウルスエアサ嬢の名前は聞かなくなった。天才少女(少年も)の、その後の難しさということなのだろうか?大人になればただの人・・・みたいな扱いを彼女も味わったのだろうか?
大人のピアニストとして再びウルスエアサの名前を聞いたのは、彼女がクララ・ハスキル国際ピアノコンクールで優勝した時。このコンクール、日本人優勝者が3人もいる。グーグルで検索すると、前回優勝の日本人ピアニストのことが沢山出てくる。なんとその人は18歳だということだ。
ウルスエアサが、このコンクールで優勝した時、彼女は16歳だった。やはり早熟の人だったのだろう。
彼女のCD(もちろん輸入盤)を偶然に見つけた時、その名前に懐かしさを感じた。そしてその演奏は、ピアニストとして勝負に出た・・・的なものでもあった。30歳を過ぎたウルスエアサは大人のピアニストとして成長していたのだ。
天才少女は消えてしまったわけではなかった。研鑽をしていた。クラウディオ・アラウとの出逢いが大きかったらしい。「いい教師がウィーンにいる。あなた、彼のもとで勉強しなさい」という言葉に従った。ウィーンで研鑽し、ピアニストとして、大人の芸術家としても、ウィーンを拠点として活躍するようになった。
「PIANO & FORTE」というCDでの演奏、そこには天才少女の姿はもうなく、若武者のような・・・と表現すればいいのだろうか、「さあ、準備は整った。勝負よ」みたいな勢い、積極性を感じさせた。先に紹介したヒナステラのソナタも、このCDに収録されている。古典やロマン派も悪くはないけれど、彼女の長所は、ヒナステラのような、割と近代的な曲に発揮されているように感じた。
ルーマニア出身ということで、自国の作曲家、パウル・コンスタンティネスクの作品を一曲演奏している。「渾身の・・・」という表現が相応しいような演奏だ。
若手の逸材として活躍していくはずだった。しかしウィーンの自宅で倒れているのを発見された。脳出血だったらしい。
ミハエラ・ウルスエアサ・・・ルーマニアのピアニスト。享年33・・・
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