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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

巴里で4月に 

 

ワイセンベルクはコンポーザー・ピアニストでもあった。このことは割と最近認識されてきたような気がする。個人的にはアムランの功績が大きかったのではないかと。アムランはワイセンベルク作品を録音しているし、リサイタルのアンコールでも盛んに演奏しているようで、その動画により多くの人に知られるようになったような気がする。ユーチューブ、つまりネットの普及により、ワイセンベルクが再び脚光を浴びる。「えっ?素敵な曲じゃない?」

中でもシャルル・トレネが歌ったシャンソンを編曲したものが素敵だ。「巴里で4月に」とか・・・

シャルル・トレネはパリ解放の時、記念的コンサートを行っている。決して暴力に屈しないパリ、美しい愛の街パリ、その想いを歌に託した。ナチス・ドイツに迫害されたという意味で、トレネや巴里という街とワイセンベルクは共通点がある。

ワイセンベルクは故郷ブルガリアで強制収容所の経験がある。ユダヤ人だったから。イスラエル経由でアメリカに逃れ、そこでワイセンベルクはピアニストとして花開くわけだが、そのような彼にとって、シャルル・トレネやパリ解放のような出来事は、どこか他人事とは捉えられなかったのかもしれない。

ワイセンベルクはニューヨークのジュリアード音楽院で、あのオルガ・サマロフに学ぶ。ウィリアム・カペルと同門ということになる。
二人はお互いの才能を意識していたと考えられるが、カペルになくワイセンベルクにあったもの、それは「故郷を捨ててきた」「自分だけ逃れてきた」という想いではなかったか?故郷を愛しながらも、同時に憎悪のような感情をも持つ、これは苦しかったのではないだろうか?ワイセンベルクが再び故郷ブルガリアの地に立つためには、30年近くの歳月を待たなければならなかった。

kaz




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