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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

上手い人基準 

 

「声なんて関係ないんです。上手く歌おうとか、歌えなかったとか、関係ないんです。心で歌うんです」先の動画の中で二葉百合子が言っていた言葉。「決まりました!」という感じ?でも二葉百合子という大御所が言うから決まるのであって、例えば僕などが言ったとしたらどうだろう?おそらく「フ・・・素人は気楽でいいわね。心・・・だってさ」みたいなことを言われるかもしれない。

心をどう伝えるか・・・この部分なのだろう。例えば、心が大切だとして、レッスンで先生から「心で弾きましょう」とだけ言われたら、相当困るだろうと思う。心で演奏しているように第三者(聴いている人)が感じるような、具体的なノウハウを教えてください・・・と思うだろう。

そもそも、クラシック音楽は敷居が高いなどと言われる。「クラシックなんて高尚なものは私なんかには分からない」みたいな?作品そのものが難しいとされてしまいがちだが、そうだろうか?それとも単なる聴き手の問題なのだろうか?演奏者にかなりの責任があるのでは?

ツラツラと達者であれば心が動くわけではない。なにやら難し気な曲を達者に弾いた、次の人もやはり同じようにミスもなく達者に弾いた、でも何も感じない・・・これは作品の責任?聴き手の責任?豚に真珠ということ?

演奏がつまらないのでは?心に何も響かない。ドスンと何かを心に落として欲しいのに・・・それだけでいいのに・・・

「心で歌うんです」この二葉百合子の言葉が重く響いてくる。

クラシックだけではなく、その他のジャンルの音楽にも「この人上手い!!!基準」のようなものはあるような気がする。のど自慢大会で鐘を沢山鳴らすような歌声、歌謡勝ち抜きコンテストで優勝するような歌声、カラオケの自動判定もなんのその、高得点をたたき出すような歌声。上手い歌手、パッと連想してみる。尾崎紀世彦とか五輪真弓、ちあきなおみ、美空ひばり・・・この人上手い基準にピッタリと入る人たち。

でも「この人上手い基準」みたいなものから外れているような、ある意味「ボソッ・・・」とした歌声に心惹かれることもある。クラシック音楽の場合、基準が厳密というか、狭いのだろうか?歌謡曲やポップスみたいなジャンルでは、鐘三つ・・・がせいぜいかと思われるような歌声に心を奪われてしまうことも多い。心にドスンと来るか、来ないか・・・という価値基準のようなものが、聴き手に備わっているのだろうか?何故クラシック音楽の場合も、そのような基準があっていけないのだろう?

バート・バカラック、この人は作曲家として有名。個人的にはディオンヌ・ワーウィックなどが朗々と、それこそ「上手い人基準」で彼の名曲を歌っている。彼の代表作「アルフィー」はバーブラ・ストライサンドのバージョンが最高だ。美声とコントロール力の勝利・・・みたいな歌唱だ。

バート・バカラック自身の歌声。自作自演ということになる。僕は、彼の歌唱を「上手い人基準」の歌声とは感じない。鐘三つタイプ?でも心にドスンと来てしまう。なんなのだろう?これはなんなのだろう?

kaz




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