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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

昭和練習からの脱却 

 

大人の再開ピアノ、かつて子ども時代に習っていた昭和ピアノの習慣を引き継いではいないだろうか?ワシワシと練習して、つっかえなく一応弾けるようにする、その後先生のダメ出しをもらう。「そこ、歌えてないわ~」と。一応弾けてから・・・という昭和感覚をそろそろ捨ててもいいのかもしれない。

今自分が弾いている曲よりも、シンプルな曲を弾いてみる。ショパンのスケルツォを弾いているのだったら、モーツァルトのソナタのゆっくり楽章、多くの場合、第2楽章を弾いてみる。例えば、K.545のような。シ~レドしドレ~シソ・・・のような曲。大人の場合、いつピアノが弾けなくなるのかは分からない(?)ので、憧れの曲をキープしておくのはいいと思う。スケルツォは練習継続でいいと思う。

モーツァルト、「一応弾けるんだけど・・・」となる場合が多いのでは?でも最初のシ~の場面、左手の伴奏とのバランスは絶妙ですか?フレーズの頂点とか、呼吸のような伸び縮みは絶妙ですか?ソ~ラソファ♯ミレドレーシソ・・・ラの音、バシン・・・みたいな音で弾いていませんか?

素敵なサウンドを自分の引き出しの中に入れておく。モーツァルトの室内楽とかオペラとか。そのサウンドを一瞬でも自分なりに具現化できていますか?例えばサークル練習会の雑談タイムで、談話中の人たちのテンションを自分の演奏にモーツァルトで集められますか?「えっ?素敵?」のように・・・

昭和時代のピアノレッスン、僕の記憶だと先生はダメ出ししかしてくれなかった。どうやったら・・・の部分が欠けていた。その昭和の残り香のようなレッスンは今は全く過去のものとなったのだろうか?音を弾けるように→先生のダメ出し→本番では言われたことを注意して弾く→なんだかな・・・その繰り返し・・・

この昭和手順は今も消滅していないのでは?曲作り、譜読み、曲作りのノウハウ、弾き方・・・は最初から先生と行うと発想転換してみたらどうだろう?「そこ、バシンとなってない?」「あ、本当だ。どうしたらいいんですか?」「こうしてみたら?」「あっ、本当だ・・・できた・・・」このような共同作業というか、具体的なレッスンがこれからの時代には求められてくるのではないだろうか?

生徒側も自分の理想サウンドを「一応弾けてから考える」ではなく、譜読みの段階から具現化してみる・・・

具現化の領域は先生の具体的アドバイスの助けを求める。「あっ、本当だ」みたいなこと。引き出しの中の理想サウンドは自分で豊富にしておくのだ。「ああ、この箇所はヘルマン・プライがパパゲーノのアリアで歌っていた、あの部分みたいに・・・」その具体的方法を先生に求めるのだ。

できない→レッスンでの具体的なアドバイス→できない→具体的アドバイス・・・のような?レッスン室ではできても、自宅での練習ではできないことが多い。でも「あっ、本当だ」の部分がなければ、曲だけ変わって、いつまでも「音並べの自分」からは脱却できないのではないだろうか?

先生方へのお願い、是非「具体的なもの」を生徒に与えて欲しい。「こうすれば?」のような。生徒は次のレッスンではできていないかもしれないし、後退しているかもしれないけれど、レッスンでの「あっ、本当だ、できた」はとても大切だと思う。

生徒は「音が弾けてから・・・」「上達してから・・・」とか先送りせずに、譜読み段階で自分の脳内理想サウンド、素敵サウンドを具現化しようとすること、先生のヘルプは必要だけれど、理想サウンドを捨てないこと。理想サウンドを最初から求めること、それが練習・・・と発想の転換をしてみること。

ああ、なんて躍動感を感じる演奏だろう?別にJ.シュトラウス父の作品を弾くわけではなくても「ああ、いいじゃない?」「素敵だよね」と感じたのだったら、それを引き出しの中に入れておいて、自分が弾く曲では譜読みの段階から具現化しようとしてみること。

次回は、このヤンソンスの「ラデツキー行進曲」の躍動感、幸せ感を自分の演奏で具現化している人を紹介したい。

kaz




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