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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自分を虐待しない 

 

「専門的に学ぶの?音大に行くの?違うのね?じゃあ趣味になるから楽しくレッスンしていきましょう」

世間ではどれだけこのようなことがあるのだろう?僕が変わっているのかもしれないが、この「趣味なんだから・・・楽しく」という言葉、差別されているように感じる。「専門に行けないから仕方ないね。まぁ、弾くのは自由だし・・・」みたいなニュアンスが隠されているように感じてしまうのだ。

70歳の人がサークルでシンプルな曲をトツトツと弾く。それだけでもいいじゃない?そうだろうか?その70歳の人は進歩するかもしれないじゃないか?75歳になった時には、トツトツ・・・ではなく人の心を動かすほどの流麗さを身につけているかもしれないじゃないか?70歳?そのぐらいでいいんじゃない?これは差別に感じる。まぁ、そう感じる僕が変わっているのだろう。

アメリカの田舎にH君という15歳の少年が住んでいると仮定する。このH少年は歌が大好き。特にミュージカルが好き。ある時、バーブラ・ストライサンドの「The Broadway Album」というCDを購入した。H君はバーブラの存在は知っていたけれど、歌は聴いたことがなかった。女優として認識していたところもあった。

「ああ、なんて躍動感を感じる歌い方なんだろう?なんという声!!!ソンドハイムという人の詞も凄い・・・」H君の心も躍動してしまったのだ。「ああ、僕も歌ってみたい。このように歌ってみたい・・・」

この場合、田舎に住むH少年がバーブラ・ストライサンドのように、それ以上に歌えるということが重要なのだろうか?H君の心が動いたということが重要なのではないだろうか?何が心を動かしたのか?それを自分でも探してみたくなったのだ。動かしたものを追う、それが重要なのではないか?

自分の心を動かしたものに、そこに忠実でありたい。「どうせ趣味だから・・・」「○○さんのような才能なんかないから・・・」「もういい年齢だし・・・」

これって、自分を自分で虐待していませんか?できる、できない・・・ではないのだ。自分を動かしたものに忠実でありたい。それは傲慢でもなんでもないと思う。

我々大人はH君のようになってはいけないのだろうか???

kaz




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