FC2ブログ

ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

世界の大人ピアノの仲間たち 2 

 

この人の演奏、音楽的だな・・・と感じる。ピアノの先生がクリティカルに判断すれば、そりゃあダメ出し部分はあるのかもしれないが、でも歌心があるというのでしょうか、非常に音楽的。

「この人が弾いている曲よりも難曲をミスなく弾ける。でも、この人のように情感豊かというか、歌いっぷりというか、音楽的表現というか、そのようなところが自分はダメ。ただ音が並んだツラツラ演奏みたいな?どうして?」

楽譜を読むという概念、視覚的にドとミなのねと、それだけで弾いている可能性はないだろうか?楽譜には表現も盛り込まれているとしたら?音の高低、ドレミとドソラではエネルギーが違うよね、長い音符と短い音符でも違うよね。つまりそのようなことを音として感じる。感じただけではなく、実際には自分の指で弾くわけだから、音楽的エネルギーの違いのようなもの、つまり表現のようなものを、具体的にどのようにすれば、聴き手に音楽として伝わるかの具体的なノウハウ、弾き方が必要となってくる。

先生は具体的なノウハウを伝えてくれているだろうか?「もっと歌って」それは自分でも分かるんだぁ!どうすればいいの?この部分を伝えてくれている?教えてもらっている?長い間「自分には表現力ないのかも」と悩んでいるのだったら、自分の先生が具体的ノウハウに熱心なのか、一度考えてみてもいいかもしれない。

「ではどうしたら歌えるんですか?」この言葉、直接先生には言いにくい。でも生徒は言う権利は僕はあると思う。その後どうなるのかは知らないけれど。先生がそのようなことに無頓着な場合も多々あるのではないか?あまりにも多くの人が「表現豊かに弾けない、ただの音並べになってしまう」ということに悩んでいる、ちょっと多すぎないだろうか?

音楽的表現というのは、大曲を弾く段階ではなく、バイエルとか童謡をモミジのような小さなお手てで弾いている時から自覚化しなければいけないものだったら?「音楽語」のような基本法則があるのだとしたら?

生徒側というか、悩み側にも問題はありそうだ。習慣、その人の歴史(?)となっている場合が多く、自覚化が難しいのかもしれない。それは「先送り信仰」みたいなもの。チェルニー50番を合格すれば・・・みたいな?ワシワシと何十時間を必死で練習すれば、余裕ができて音楽表現にも気をつけられるだろう、それができない私は弾けない人、才能がない人なんだわ・・・みたいな?

そもそも○○が弾ければ音楽的な表現がクーポン券のようについてくるわけではない。あと100曲エチュードをこなせば、大曲が音楽的に弾けるわけでもないと思う。単純なる難易度ということでも練習量ということでもないとしたら?

「今それをやるんだよ」ということではないだろうか?○○が合格してからとか、もっと鍛えてからではなく・・・

リストやラフマニノフの難曲で「弾けはするけれど音並べ?」となってしまう悩みがあるのだったら、試しにクレメンティのソナチネとかギロックの小品を弾いてみたらどうだろう?別人のようにそこに音楽的表現が伴うだろうか?「わぁ、なんて素敵なの」という演奏になるだろうか?やはり「どこか音並べ?」みたいな演奏になってしまうのでは?

○○まで頑張れば・・・ではなく、今やることなのかもしれない。

ブルグミュラーの「アラベスク」のような曲をレッスンに持っていく。「もちろんミスなく弾けるんですぅ・・・でも聴いている人が素敵とか感じてくれる演奏にはならないんです。どうしたらいいんですか?」先生にぶつけてみたらどうだろう?

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング
スポンサーサイト



category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top