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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

高尚への逃げ 

 

初めてアンダーソン&ロエの演奏を知ったのが、この動画。ちょっと衝撃的ではありました。超絶トルコ行進曲!!!むろん、彼らの超絶技巧を堪能する楽しさもあったが、それよりも「客席との対話」というものが映像からも感じられたことに凄さを感じた。

まれに(非常にしばしば?)クラシック作品、特にピアノソロの演奏の時に感じることがある。それは「クラシックの逃げ」「クラシックの甘え」みたいなもの。客席との対話、一体感のようなものが皆無でも、そして聴き手は退屈していても、作品が高尚なのだ、それを感じない聴き手が凡庸なのだ・・・みたいな雰囲気。クラシックの世界では、それが許されてしまっていることもあるような気がする。

クラシック嫌い(?)の人が指摘する。「緊張した面持ちで出てきて、何やら難し気な顔で難し気に何やら弾いて、仏頂面(?)で引っ込む」と。もしかしたら、演奏者は「ミスしないように」「音を外さないように」のようなことばかりではなく、会場の聴き手のことも考える必要はないだろうか?「一人でなにやら難し気なことをしている」だけで完結して、しかも、どこかそれが許されてしまうのは、クラシックだけではないか?ジャズにしてもポップスにしても、シャンソンにしても、聴き手が「つまらないな・・・」と感じてしまったら、その演奏者は消えていく運命にある。クラシックの場合、聴き手が「自分の感性が足りないから」とか「そのような高尚なものは分からないから」と解釈してくれる???

聴き手の中には意地悪な人もいる。初めから演奏者を斜めに捉えているような?でもそのような人は一部だと思う。客席は白けていないだろうか?緊張感だけで通していないだろうか?逆に弛緩しきって緊張感が不足していないだろうか(連弾の危険性でもあるような)?

自分がどう弾けるか、弾けたか・・・そこで終わってしまっていないだろうか?客席は完成度、到達度を感じたいのだろうか?

聴き手と演奏者、作品との対話・・・

「そういうことは、もっと上級レベルになってから。上達してから考えること・・・」

そうだろうか?もしかしたら「演奏」というものの第一歩だったら???

kaz




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