FC2ブログ

ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

先読み準備万端!! 

 

フィギュアスケートの演技で多少の取りこぼしがあっても高得点の出る選手、出ない選手、ある共通点があるように思う。例えば、ジャンプを跳んだ場合、片足で降りるということだけしか考えていない(ように見える)選手と、跳んだ瞬間に降りた後の姿勢、軌跡の美しさまでを想定、準備している選手との違いみたいな差だろうか?

ピアノ演奏でも、ある音を鳴らした瞬間、次の音に対しての自分なりの「理想サウンド」が頭の中で鳴っているだろうか?そのサウンド、音を鳴らせるようにするのが練習・・・

ジャズのアドリブ、この場合、鳴らしている音に必死・・・だと続かないように思う。次の音、さらに次の音が頭の中で鳴っていないと難しいのではないだろうか?何故にクラシックになるとこの感覚が乏しくなるのだろうか?

練習とは印刷された音を鳴らせるようにする・・・ではなく、次の理想音を具現化すること・・・と捉えてみたらどうだろう?つまり準備万端状態というものを身につけるということが練習。準備するためには、次の音の理想音が必要。そのために準備をする。そこのところが曖昧だと、つまりどのような音が欲しいのか自分で分かっていないと、準備という観点すらなくピアノを弾くことになってしまう。

これには練習というものの概念を変えてみる必要がある。発想転換。ここが難しいのかもしれない。一応弾けるようにする・・・のが練習ではなく、譜読みではなく、最初に理想形を掴む。そこにどうしたら到達できるのか、それが練習。

ドを弾いた。次のレの音は、行き当たりばったりではなく、理想のレが自分の中で鳴っていて、その理想に近づけるのが練習・・・理想の音がなければ準備も何もないではないか?

こう考えると、譜読みでも「一応音を並べるようにしてから、つっかえずに通して弾けるようにしてから表現を考える」という手順が、いかにおかしいのかが分かってくる。

習慣というものは恐ろしいというか、子どもの頃から「まずはつっかえないで弾けるように、(表面上)正しく弾けるように」ということを徹底され、「弾けるようになってきたから、では音楽的な表現も考えていきましょう」的なレッスンをずっと受けてきたのなら、大人になっても「練習とはこのようなもの」「曲を仕上げるとはこのようなもの」みたいな感覚があるだろうと思う。

ある演奏を、ある曲を聴いて萌えたのなら、その時に「ああ素敵・・・」と感じたのだったら、感じたからこそピアノなどを弾いているのだと思うが、感じたのだったら、あなたは機械ではないのだ。音楽的不感症、音並べ人間ではないのだ。

① 自分差別をやめる・・・どうせできないしぃ。ピアニストさんじゃないし。基礎がないしぃ・・・をやめる。
② 自分の描いた理想音楽は素晴らしい。まず自分自身がそのサウンドに心を動かされたのだから。遠いかもしれないが、できると思うこと。そのサウンドが自分を動かしたのだから。
③ 自分の理想サウンドを信じて、準備をすること。そこに無頓着だと、「ああ、こんな音じゃないんだけどな」とさえ思わす、ツラツラと印刷音符だけを弾いてしまう。
④ 上手い人って準備が早いと認識する。才能とか、経験とか、そのようなことよりも、準備が早い。
⑤ 何を準備するの?自分の理想音。一応弾けてから・・・ではなく理想サウンドのために練習する。

バーブラの初期の頃の歌唱。僕が生まれる前だ!自然に音楽的に何気なく歌っているようにも聴こえるけれど、準備が凄い。ある音を歌った瞬間、身体中、意識のすべてが「次の音」に向かっているような???

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング
スポンサーサイト



category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top