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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノは簡単に崩れ去る 

 

ピアノを弾くことは続けるだろうという強固な意志があるものと思っていた。自分に深刻な事態が起こっても、とりあえずピアノは続けてきた。親族や親に何があっても、内なる力を総動員して、ピアノのある生活は維持してきた。練習量は減ることもあるし、ピアノの前に座るということはできなくても、「このままピアノから遠ざかるのかな・・・」という危機感はピアノを再開してから今まで持ったことはなかった。

ピアチェーレ演奏会は明後日。少しだけ宣伝すると、まだお席はあります。ピアチェーレのホームページ、メールフォームよりお申込み下さい。無料の演奏会です。このブログにピアチェーレのページをリンクしてありますので、興味のある方はどうぞ・・・

本番前は練習に集中したいもの。これは誰でもそう願うだろう。僕の場合、生活の中のピアノ・・・というスタンス、少し甘えた(僕はそうは思ってないんだけど、手が痛くなるまで、寝ないで練習すべきという美学の方からはそう感じるかも?)スタンスなので、仕事は休まない。当日は休むけれど、練習のために仕事のスケジュールを調整するということはない。前日もその前の日(今日ですね。夕方から仕事です)も日頃と同じでいく。だからこそ、練習は集中したいのだが、それができないこともあるのだということを知った。

自分のこと、親のこと、自分の配偶者、子どものこと・・・となると、自分の内なる力を総動員して困難を克服していくものだ。人間は強いのだ。そのような意識さえなく、進んでいける。自分の経験からもそれは思う。でも、ちょっと離れた人というのだろうか、親しい友人とか、親でも義理の親、そのような人たちに何かあった場合、困難という事実が、より圧倒的に自分に降りかかってくるような感覚を持つ。長男の嫁とか、大変だろうなと思う。自分の親以上に、通院、世話、自分の家族との生活の調整など、意識下の中での心労は多いのではないかと思う。

僕の場合、友人が入院した。緊急入院というメールから連絡が途絶えたので、非常に心配した。生きているのか、生きていても集中治療室レベルなのか、どうなんだろう、非常に心配し、それこそピアノどころではなくなった。自分の困難の場合は、なんとかコントロールできるのだが・・・

何があってもピアノを弾き続けるという意思は簡単に崩れ去った。先日ピアチェーレ演奏会のリハーサルがあった。その直前まで友人の安否が不明だったので、暢気にピアノなんて弾いていていいのだろうかという想いが非常に強かった。なんとか生きている、話せる・・・そのことを確認できたので、リハーサルでショパンなどを弾けたのだと思う。

意外と簡単にピアノライフなんて崩れ去ってしまうものなんだぁ・・・それが正直な感想だ。無料ではあるけれど、世間に告知した演奏会が控えていたから弾いていたという感じだ。これが、ただレッスンに通う、たまにサークルに出る、発表会には何を弾こうかな・・・というピアノライフだったら、あっけなくピアノというものが日常から崩れ去ってしまっただろうと思う。

大人のピアノ、特に中高年のピアノの場合、そのピアノライフは薄氷を踏んでいるようなピアノライフなのだ。いつ氷が割れるか、落ちてしまうか分からない。そうなっても、それは特別不幸なことでもなく、世間ではよくあることなのだ・・・

もちろん、ピアノはそのような中でも、なんとか練習していた。本番があるから。緊張感を自己救済に使ったという側面もある。あとは、ギターを聴いていた。世界を駆け巡るワールドワイドなギタリストではなく、自宅の部屋で録画した演奏をユーチューブでアップしているようなギタリストの演奏。その演奏を聴いて自分の癒しとしたところがある。これも自己救済かもしれない。

Cyrloudさんというギタリスト。この人の演奏は以前から好きだった。なんとなく演奏が自分と似ているなぁ・・・などと生意気にも感じたりもしていた。たま~にメールでやり取りするような間柄なのだが、個人的な友人・・・というわけではない。「癒しにさせて頂きました~」などとは彼には言ってはいないのだが、お世話になりました。彼自身も重篤な病を克服し、日常の中で、生活の中でギターを弾いている。

音楽って切ないねぇ・・・生活も切ない・・・でもそこがいい・・・薄氷ということを再認識させてもらった。

Cyrloudさん、ありがとうございます。

kaz




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コメント

 

こんにちは。

Kaz様こんにちは。

御友人様のご容態は落ち着かれましたか?
お気持ちお察しいたします。

私も5年前に同じような想いをしました。
ピアノなんて手につかなくて、あちこちの神社に行って祈る毎日。
ようやく連絡が着いたのは、倒れて1ヶ月過ぎた頃。
でも、相手は手術に続く治療の日々で意識朦朧としていて、生死をさ迷うコト数ヶ月。

ホントにツラくて悲しくて…
でも、ある時、ピアノで祈りを捧げよう、って思ったのです。
ピアノを弾こう、舞台に立ち続けて、祈りをこめて演奏すれば、いつか聴きに来てくれる、と。

それが今の私の活動の原点になりました。


その年、私はひとりで札幌で開催されたチャリコンに出演し、どんな時、どんな状況でもステージに立つ、という大切な学びを得ました。

まだ野谷恵先生の指導を仰ぐ前の時。ほんの少しの孤独感と共に。


そして、4年が過ぎた昨年、札幌のチャリコンでは、ようやく祈りが届いて、聴きに来てもらうコトが出来ました。
この時の札幌では、野谷恵先生の指導を受けていましたし、Kazさんも出演していましたし、仲間も増えていて、続けて来たコトに間違いはなかったのだ、と深く感謝の想いに溢れました。
ステージはひとりで立つのに、ひとりではない、と感じました。


崩れても、なお弾き続けていく…それしか出来ない自分がいました。
それは自分に真摯に向き合うコト。

私にはピアノがある。
この幸せを忘れずに、ピアノを弾き続けられる奇跡の日々を大切に感じながら、これからも進んで行きたいです。


なんだかとりとめなくてすみません。
このblogを読んだら、心が揺れた当時のコトが思い出されて、メッセージさせて頂きました。

御友人様の1日も早いご快復をお祈り申し上げます。
そして明日の演奏会のご盛会とご成功をお祈り申し上げます。

kaoru #- | URL | 2017/11/17 12:44 | edit

Kaoruさま

温かなメッセージありがとうございます。

仕事は崩れないんですよねぇ。色々な悩み事なども忘れている。まぁ、当たり前のことですが。でも今回はピアノに直撃しました。

ステージでは一人だけど、一人ではない・・・

明日はサプライズがあるかもしれません。

kaz #- | URL | 2017/11/17 15:58 | edit

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