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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

バーンスタインと慟哭 

 

中学生だったと思う。1979年なのでそうだと思う。ピアノは中学進学と共に辞めていたので、正直に言うと「せいせいとしていた」と思う。またピアノを他の先生に習うとか、教室に通うとか、考えられなかった。子ども時代特有の無責任な生活を無意識に満喫していたと思う。音楽は好きだったし、ピアノの聴くのは好きだった。家からピアノというオブジェクトが消えても、何も感じたことはなかった。

「音楽愛好家、鑑賞者としての道を歩むんだな」という自覚があった。それでいいんだという自覚。あなたはピアノが下手なのね、そう言われ続けることもなくなって、音楽だけが好きであればいいという生活を満喫していたと思う。

中学生にしては音楽会には通った方なのではないかと思う。小学生の時に案内役をしてくれた医大生は、本格的に医師の道を歩み出したし、これからは自分なりに音楽とつきあっていこうと思っていた。

まだサントリーホールなども存在していなかった時代、来日演奏家のコンサートは東京文化会館で行われることが多かった。ここしかなかったという感じでもあった。ニューヨーク・フィル&バーンスタイン、この演奏会は当時でも話題になっていたように思う。若輩音楽愛好家としても是非聴いてみたかった。お小遣いなど吹っ飛んでしまった記憶がある。

音楽愛好家の常として、当日演奏される曲はレコードやFMなどで予習はしていた。ショスタコーヴィチの五番の交響曲、そのフィナーレで人生初めての慟哭の瞬間がきた。この感覚は予想していなかったもので、非常に困惑した。

なにか、とてもやるせない感じ?これでいいと思っていた、思い込んでいたことを反対尋問されてしまうような感覚?

「この感覚を聴いて閉じ込めているだけでいいのかい?それで本当にいいのかい?」そのように問われてしまうような感覚。それでも僕は強情なので、ピアノを再開とか、そのようなことは一切感じなかった。もうあのようなことはもういい・・・

「ではどうしたら?自分の中で燃え盛ってしまう気持ちをどう処理すればいいのだろう?」

中学生だった僕は、ただ泣いた。泣きながら歩いた。電車に乗れるような状態ではなかった。たしか、上野から日暮里まで歩きながら気持ちの整理をしていたと思う。

その後も似たような「人生慟哭の瞬間」は何度もあった。それでもピアノを弾くという行為に至らなかった理由としては、ピアノ教育、ピアノ教室、ピアノ教師などというものにトラウマのようなものを感じていたからだと思う。でもそれよりも大きな理由は、「人生忙しかった」というものだろうと自分では思っている。人並みに進学し、就職し、さらには住む国を変え、帰国後も職業を転々と変え・・・という、どこかレールから外れた人生を送ってきたからだと思う。

もう40歳(まだ40歳?)という頃、生活が落ち着いたのだ。仕事をして時間があればピアノを弾いて・・・という「普通の生活」を送るようになった。ただもう二度と味わいたくないのが、中学生の時に感じたバーンスタインの慟哭、ショスタコーヴィチの慟哭・・・

この時の気持ちを味わいたくないから、今の自分は、弾けるときにはピアノを弾いているのではないかとさえ思う。

kaz




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