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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

 

 

来年の夏に「スカラムーシュ」という曲を弾く。つまりデュオの曲となる。僕は合わせ物の経験が少ないと思う。ボランティア練習ピアニスト(?)として貧乏学生の伴奏はしたことはある。その時、初めてアーンの歌曲を弾いたりして、自分としては楽しかった。連弾は一度ある。サークルの練習会で披露した。これも楽しかった。曲はシューベルトの「幻想曲」で、セコンドの僕は、分散和音とか、わりと「伴奏で~す」みたいな音型が、やはりプリモよりは多かったと思うし、やはり同じ楽器を弾くので、あまり違和感は感じなかった。

今度はデュオなので、完全に異なる楽器(ピアノ・・・と言う意味では同じ楽器だが)での合わせ物ということになる。デュオそのものについて、まだ慣れていないところがあるので、CDを聴いたりユーチューブを聴いたりしていた。予想したのは、ピアノ同士のアンサンブルは、ズレたりしたら、聴き手に分かってしまうだろうなと。他の、例えば弦楽器とのアンサンブルなどと比べると、些細なズレ、ミスも目立つだろうと・・・

聴いてみての感想は、ズレとかミスなどという前に「音が・・・」というもの。ソロでも本来は意識すべきことなのだろうが、散漫な、集中されていない音そのものが、ソロよりも耳障りだ。おそらく、そのようなバシャン、ボヤンとした音がソロよりも2倍強調されてしまうからではないだろうか?

「タイミングよりも、まずは音だな・・・」

やはり「う~ん???」となってしまうのは、アマチュア同士の演奏が多いような気がする。バシャ~ンの2倍効果(?)のような?「人気ピアニスト同士でアンサンブルしてます」のようなデュオよりは、デュオ専門家(?)の音に僕は魅力を感じるようだ。4手、2台で一つの調和したサウンド、これはデュオ専門家が素晴らしい。まだ聴いている途中だが、コンタルスキー兄弟の音に惹かれている。「なんだか地味なオジサンだちだなぁ」と今まで聴いてこなかったのを非常に後悔している。

「あっ、この演奏(ミスはあっても)いいな」と、もっと聴きたい度を持続できる演奏には「意思のある集中した音」があるように思う。残念な演奏って、聴き手は割とすぐに判断して耳を閉じてしまうのではないだろうか?それは「音」そのものによって判断されるのかもしれない。音楽的に平坦とか、そのようなものの前に、まず音そのもので判断されてしまう・・・

散ってしまう音、これだとデュオは(ソロも?)聴いていて辛い。

考えてみると、ピアノって不思議な楽器だ。発声練習も、管楽器のロングトーンのような練習もないから。基礎練習となると、いきなりハノンなどをワシワシと弾く・・・みたいな?基礎練習=指訓練のような?もっと前の段階の「発音練習」のようなものがピアノでは何故一般的ではないのだろう?不思議だ。

あるイギリス出身のピアニストの演奏、この演奏の「音」には意志力があると思う。鍵盤を面的に大雑把に押すのではなく、点として意識しているような集中された音。散ってしまわずに聴き手に入ってくる音。

このピアニスト(ジェームス・ローズ)は10歳の時に性的虐待を受けた。それが4年間も続いた。そのトラウマから脱することが難しくなっていった。まずは自分を責めた。「あんなことがあったのは自分が悪かったからだ・・・」

多くのピアニストが音楽院で修業し、コンクールで自分の腕前を試す時期、このピアニストは精神科病院の病室にいた。

「薬漬けになり、自分の内側から崩壊していくのを感じた」

言葉で語れることばかりではないのだろう。だから彼は「音」で、ピアノの音で語っている。

結婚もし、子どもも生まれた。立ち直ったかに思えた。でも自分の息子が10歳に近くなると、また闇の世界が襲ってくるようになった。繰り返す自殺未遂・・・

それでも「音」に託したんじゃないかなぁ?それでも・・・

それにしてもピアノには何故「発音練習」が一般的ではないのだろう?「音」は何で育つのか?ハノン?エチュード?曲?

kaz




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