FC2ブログ

ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

私を泣かせてください 

 

コンポーザー・ピアニストって、こういうことをしてくれるから好き。この演奏もハイク・メリキャン。「本当にオペラが好きなんですね?音楽が好きなんですね?」と声をかけたくなるような演奏だ。

厚底サンダル、覚えている人は多いだろうが、今実際に履いている人はいるのだろうか?クラシックの演奏家が、ビジュアル的な側面で売れる、そのこと自体は僕は否定しない方だ。堅苦しいと思われているだけよりはいいと思う。でも演奏家は厚底サンダルではないので、ずっと付き合ってあげて欲しいとは思う。曲そのものを味わいたいという人もいるだろう。演奏家よりも作品を・・・という人。僕は演奏家を味わいたいタイプなのだと思うが、このあたりは人それぞれだろうと思う。いい、悪い、黒、白で分けられるようなことでもないと・・・

演奏に求めるものは人それぞれなのだ。僕からしたら、バリバリ、ガンガンと達者なだけ・・・という演奏も「凄~い」と人を惹きつけることだってあるだろう。

個人的にはということだ。個人的には、大袈裟かもしれないが、演奏を聴くという行為は、自分の人生の一部分を演奏と共に過ごすという意味合いを持つ。プロ、アマチュアに関係なく、ある種の「共有」を求める。「ああ、あなたも美しいと思うのですね?」「ああ、あなたも音楽に焦がれているんですね?」と聴き手である僕が感じられる演奏を求める。僕は非常に寂しがり屋なので、音楽で手をつなぎたくなるのだ。

表面的にどれだけ達者にミスなく弾けるかなんて関係ないのだ。こう思うのは僕だけではないと思う。その演奏家の親でも親戚でもないわけだから、その演奏者がどれだけ弾けるのか、その日、どれだけ課題を達成できているのか・・・なんてことには興味はあまりない。ただ、共有したい。何かをね。それだけなのだ。

客観的にはAさんの演奏よりもBさんの演奏は劣っていて未熟であるということはあるとして、例えばBさんは非常に長い間自分のピアノに悩んでいた。内なる音楽への熱い、爆発しそうなほどの憧れはある、でもそれが表出できなかった。でもBさんがある日一部分でも今までやろうとしていたことが僕に伝わったとしたら、主観的には僕はBさんの演奏をAさんの演奏よりも素敵だと思うだろう。共有できたから。それは「ピアノって大変だし、辛いこともあるけど、でもやめられないんだよね?」とか「結果はなかなか見えなくても音楽って素晴らしいから、辛くても弾くんだよね」とか、そう思うだろう。「僕もなんだ」と心の中で手をつなぐのだ。

初めてハイク・メリキャンのこの演奏を聴いた時、最初の音で僕はこう感じた。

「ああ、私を泣かせてください」と。

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング

スポンサーサイト



category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top