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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ケヒンデ・ワイリーの肖像画 

 

クラシック演奏家、アフリカ系アメリカ人が少ないという文章を読んだことがある。僕は「そうかな?」と思った。それは僕が声楽が好きということもそう思った理由の一つかもしれない。特に女性(女声)のアフリカ系アメリカ人の活躍は目覚ましいものがある。彼女たちの評価においても、そこにはアフリカ系だからといった特別なものはない。例えば、ジェシー・ノーマンはアフリカ系アメリカ人にも関わらずドイツ歌曲も上手い・・・とか、レオンタイン・プライスはアフリカ系アメリカ人とは思えないほどヴェルディを見事に歌いこなし・・・などといった評価は見たことはない。

ピアニストだとアンドレ・ワッツだろうか?彼の血の半分はアフリカ系ではなくハンガリーなので、だからリストを得意としているのだ・・・などという評価も聞かない。

欧米のオーケストラにアジア系の団員がいても、それは風景として何の違和感も感じなく見て(聴いて)しまうと思うが、たしかにアフリカ系の団員がいたら、少なくとも目立つような気はする。さらに、国際コンクールのコンテスタントにもアフリカ系の人はあまりいないように思う。先のショパン・コンクール、アジア勢は沢山いたけれど、アフリカ系はどうだっただろう?

日本という島国に住んで、周囲は日本人ばかりという環境にいると、日本人ということはマジョリティになる。でも欧米感覚だと、日本人ということは、ある意味マイノリティに変わることだってあるかもしれない。日本人、韓国人などという感覚もなく、大雑把に「東洋人」としか捉えない保守欧米人もあちらには沢山いそうだ。僕たち日本人はマジョリティ?それともマイノリティ?

人間って、ことさら差別とか偏見と意識しなくても、自分の常の世界に存在しないものを「異質」と捉えるところはないだろうか?

東京で「ボストン美術館至宝展」という展覧会があった。人気のある展覧会で激混みだったような気もするが、現代アートの部にケヒンデ・ワイリーの描いた肖像画が展示されていた。僕はアフリカ系ということへの、強い誇りのようなものを感じたけれど、たしかにアフリカ系の人物肖像画というものは日本人には常ではなく、一般的ではないのかもしれない。あまりに常感覚と異質のもの、自分の感覚にはないものが、いきなり入ると、そこに違和感のようなものも感じることもあるのかもしれない。ワイリーの肖像画への反応として、割と若い女性二人だったのだが、「やだぁ・・・これ・・・えっ?やだぁ・・・」という反応があった。これは偏見?偏狭ではあるのかもしれないが・・・

合衆国大統領の肖像画というものがあるのだそうだ。公式の肖像画として、一枚はホワイトハウス、もう一枚は国立肖像画美術館(そんなものがあるのか?)に飾られるのだそうだ。前オバマ大統領は、自分の公式肖像画をケヒンデ・ワイリーに依頼したということで、アメリカでは話題になっているらしい。もちろん、アフリカ系アメリカ人ということもだろうが、彼はゲイでもあるので、元大統領がマイノリティに属するアーティストに依頼したということで話題になったのだろう。あとは、現大統領はこんなことしないだろうな・・・というニュアンスもそこには含まれているような気もする。

これがケヒンデ・ワイリーの作品、あなたはどう感じるだろう?

kaz




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