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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ゴールデンピアノ時代 5 

 

1937年、旧メトロポリタン歌劇場でのヨゼフ・ホフマンのゴールデンジュビリー・コンサート、これはホフマン個人の貴重な演奏の記録であると共に、いわゆるピアノ黄金時代の記録でもあるように感じる。

ピアノという楽器の進化、完成、サロンから巨大な演奏会場への以降、会場の隅々にまで響き渡る必要性、さらに繊細さも伝えられる機敏な楽器の必要性。ピアノ技法にもそのようなものが求められ、叩きつけない豊かな響きを巨匠たちは具現化した。均一化された模範演奏ではなく、聴衆は各々の演奏家の至芸に酔った・・・

おそらく、その頃には「自分自身に酔った」凡庸な演奏家もいたのだろう。作品から離れ、自分に酔う。当たり前だが、そしてどの時代においても凡庸な演奏家はいるのだ。1937年当時、全員がホフマンではなかった。

必要以上に飾られた凡庸演奏を聴くうち、聴衆は作品そのものの美を欲したのではないか?「もっと純粋に作品を感じたい」と。それが現代のザハリヒな方向へ演奏というものを導いた。現代、やはり凡庸な演奏家はいるのだ。今度は必要以上に整えられたというか、研究成果のような、どこか均一お手本演奏を聴くうち、現代の聴衆はこう思い始めている人もいるのではないか?「このような曲なんですという説明的な演奏はもういい。演奏家のパッションを感じたい。その人からしか感じられないような、強烈な何かを聴きたい。優秀だけれど、その人だけではなく、おそらくBさんからも聴けるような演奏ではなく、その人だけの何かを聴きたい」

これからは、1937年当時とは逆の流れになっていくのかもしれない。もしかしたら、演奏スタイルというものは凡庸な才能と聴衆が作り上げていくのかもしれない。多分にシニカルな感じ方ではあるが。

有名なピアニストをコンサートホールで聴く、この形だけではなく、かつてのサロンが復活していくのではないか?少人数でのコンサート。大曲バーン・・・というプログラムから、かつてのロマンティックな小品、巨匠たちが愛奏したショウピースの復活が予想できる。日本でもハード(サロン的会場)は整いつつあるように思う。

このゴールデンジュビリー・コンサートで、ホフマンの二人の自分の師匠の作品を演奏している。一人はアントン・ルビンシュタイン。ホフマンが演奏しているピアノ協奏曲の復活はないのかもしれないが、アントン・ルビンシュタインの小品は復活していく可能性はあると思う。もう一人の師匠、モシュコフスキのショウピース、これらの作品は、現在すでに復活傾向にあるのではないか?

kaz




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