ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

問題解決教師 

 

早速、先ほどの記事にメールフォーム経由でメールを頂いた。一言で言えば「教師はピアニストである必要はない」というもの。同じような意見は過去にも頂いている。ピアノ教師の目的は生徒を上手くさせる(大雑把な表現だが)ことで、自分のピアノがどうたらとか、そのようなことではないのだろう。ピアニストだったら、自分が上手くなればいいのだろうが、教師は自分ではなく生徒、つまり他人を上手くさせるのが目的。そういうことなのだろう。他人を上手くさせたかったら、自分も・・・ではないかと思うが?

それこそ模範演奏なら、いくらでも一流ピアニストのCDがあるじゃないですか?そうかなぁ?先ほどまで自分が冴えない音で弾いていたピアノで、同じ空間で全く次元の異なるサウンドを聴く・・・ここが重要なのではないかと思うのだが?ホロヴィッツのCDを聴いても「どうしてそのような音が出せるんですか?」と自分への可能性を含めては、あまり感じたりはしないのでは?同じピアノ、同じ空間、自分の先生・・・というところが重要なのではないかと・・・

たしかに生徒がショパンのバラードを持ってくるからといって、同じバラードを完璧にCDのように弾ける必要はないだろう。それはそう思う。でも、ある個所、生徒が悩んでいる箇所を模範演奏できる必要性は、僕はあると思うが?

現役子ども(?)になくて、大人のアマチュアが持っているものって何だろう?一つは「昭和ピアノ」というもの。その昭和ピアノというものが、世界から注目されるほど素晴らしいもので、ロシアをはじめ、多数の留学生が日本ピアノを求めて留学しにきた・・・という過去はない。大人は「過去」を持っている。その過去が、残念ながら光溢れるものではない人も多いのだ。「ピアノ教室」とか「ピアノのレッスン」という言葉だけで、胃に痙攣を感じるような?過去が暗い人も多いと思う。加えて、どこか日本では(世界でも?)、ピアノなんて幼い頃から習っていないと、絶対に上手くならないなどという迷信もまかり通っていたりする。これってピアノに限らずだが、横並び安心願望のようなものがあるのだろうか?加齢したら、暗めな色彩の服を着て、縁側で渋茶でも啜っていればいいのだ・・・みたいな?だからこそ、大人からだって変わるのだ・・・という意識が、これからは必要なのだと思う。

先生のサウンドによって、目が(耳が?)開かれる。「えっ、こんなサウンドも可能なんだ?」という自覚。さらに大人にとって必要なのは、その時限定でも、「できた、私もできるじゃない?」という自覚だ。先生のアドバイスによって、実際に自分も変われたという想い。経験。

大人の持っているものって、皺やシミだけではないのね。一度経験すると強いのだ。「あっ、私にもできるんだ?」があると強いのだ。残念ながら、若い時には3歩進んで2歩下がるだったのが、3歩進んで5歩下がる・・・にはなっているけれど、家に帰れば、レッスンでできたことが、不思議とできなくなっているけれど、一度できた自分を信じる知性、感性があるのだ。

なので、レッスン時間内に、「今。できたじゃない?」という瞬間が必要だ。そのためには、教師側に生徒の問題を見極める能力が必要で、その解決法を蓄積している必要がある。この部分と教師が弾けるということとリンクしていくのだとも思う。

「いつかできるわよ」とか「家で練習してきてね」ではなく、その場で、一瞬でも「できた!」が必要だと思う。

心のどこかで大人アマチュアが先生に望んでいること・・・

① 模範演奏教師
② 問題解決教師

・・・なのではないだろうか?

kaz




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