ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

高尚な娯楽 

 

クラシック音楽って、どのようなイメージを持たれているのだろう?おそらく「高尚なる芸術」「神聖なるもの」みたいな感じ?クラシック音楽に「娯楽」とか「エンターテインメント性」のようなものを求めるのは軽薄、それとも邪道?

今の演奏の主流は、どこかザハリヒな方向性の演奏だと思う。楽譜、作品そのものに忠実、演奏家の魅力というものは全面に出さず、作品そのものの魅力を感じさせるように・・・みたいな?

聴き手は演奏家がどこまで作品に忠実に、どこまで誠実に作品に迫っているかを吟味する、それがクラシック音楽というもので、クラシック音楽の正しい聴き方・・・みたいな?これがいけないわけではない。でも、これが正しい・・・と一方向を全員が向くというのが、どうも気に入らない。何か、黒でなければ白だろ・・・みたいな、単純分けがイヤ。

作品そのものを感じさせる演奏、対して演奏家を感じさせる演奏、どちらがどう・・・ではなく、どちらもあっていいではないか。今は、かつてのような、演奏家という個性を感じさせる演奏が実に少なくなったと思う。少ない・・・というのが寂しい。

ホロヴィッツ、ホフマン、クライスラー、カラス・・・このような人たちの演奏。聴いてすぐに「あっ、あなたですね」と分かるような演奏が今は少ない。

さらに、演奏のどこかに、微かにでもエンターテインメント性、聴き手をワクワクさせるような、あるいは、聴き手という人間の喜怒哀楽、さらには喜怒哀楽などという言葉では表現できないような感情をストレートに感じさせてくれる演奏も少ない。それも寂しい。

スルタノフは、あえてザハリヒな領域に挑戦したのかもしれない。その場がコンクールだった・・・

コンクールという呪縛(?)から放たれたスルタノフの演奏は凄みがある。虎が本性を現した・・・みたいな?個人的にはホロヴィッツ関連(?)の曲が彼の演奏では好きだ。

もしかしたら、スルタノフは現代という世の中で、ザハリヒな流れから、演奏者から滲み出るようなエンターテインメント的な演奏の魅力へと、主流の演奏スタイルを変換できた可能性のあるピアニストだったと思う。それだけのポテンシャルがあるピアニストだったと思う。

でもそうはならなかった。

スルタノフが脳卒中で、半身不随になったという知らせは日本にも入ってきた。「片手でピアノをやっと弾けるようになりました・・・自分の姿が同じような境遇にいる人に勇気を与えられたらいい」・・・そのようなメッセージも入ってきた。

再起して欲しい、また復帰して欲しい、かつてはあれだけ弾けた人が片手でポツポツと弾いている姿を見ながらそう願った。

それから間もなくの訃報だっただろうか?

アレクセイ・スルタノフ・・・享年35

あなたは何かを変えられた人だった・・・

kaz




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